フェミニズムは自己愛と人間愛

タイトルにも書いたけれど、私にとってフェミニズムは自己愛と人間愛。

なぜなら私はフェミニズムを

性別や容姿、肌の色や障がいの有無などで選択肢を狭められてはいけない

という考えだと捉えているから。

フェミニズムというと、やっぱり「女性のための思想」とか「女性が権利を拡大するための活動」と思われがちだ。実際、フェミニズムの原点はそこだから、もちろんフェミニズムとは何か、と問われた時に「女性の権利拡大」と答えても間違いではない。

しかし、今や、フェミニズムは女性のための思想ではない。

先に述べたように、生まれ持った理由で選択肢を狭められたり、不平等な状態に置かれたりすることへの抗議なのだから、男性が主張してもいいし、障害を持つ方が声をあげても、それはフェミニズム。

でも実際にフタを開けると女性の声が目立つのは、実際に男女での格差が存在しているから。男性優位の思想がまだ染み付いているから。

制度的にも、意識的にも、女性が社会で活躍することへの理解は今だに薄い。

長くなるからあまり書かないでおこうと思うけれど、(男女)平等を唱えると自動的に女性の権利を主張することになるのだ。

こういうとよく男性嫌悪だと思われるけど、男性社会とか男性優位は批判していても男性全員を嫌っているわけではないことは承知してほしいな、といつも思っている。

フェミニズムは自己愛と人間愛

タイトルにも書いたが、私はフェミニズムに出会って優しくなったと思う。人にも自分にも

私がいつもいうのは

「なかったことにされていた(る)人たちがいる」ということ。男女だと想像しにくいから、例えば障がいを持っている方で想像するとわかりやすいのでは。

バリアフリーとか障がい者福祉にはあまり詳しくないのであくまで例として捉えて欲しいのだが、車椅子利用者のためのサービス(バスの車椅子固定席や駅のエレベーターなど)は都内にいれば当たり前だけれど、レストランやスーパーなどはどうだろうか、車椅子利用者でも快適に利用できるのだろうか。といったことだ。

こんなことを考えるようになったのは、私がフェミニズムに出会ったからだ。自分も、家族もみんな健康だし、中学から私立に通っているため周囲に障がいを持つ子がいないため、フェミニズムを知る前は、私の中で障がいを持っている方たちは「なかったこと」だった。考えられなくて当然だったのかもしれないが、最近は「ここは車椅子じゃ通れないなあ」と思うし、知人が安倍昭恵夫人の花見のニュースが出たときに「もうこの人障がいじゃん」といった時、「障がい者に失礼!」と言えるようになった。退屈なやつになったのかもしれないが、差別を容認する私よりもよっぽど誇らしい。笑

男女において女性はなかったことにはされてないじゃん。という話は、

「社会的に女性がなかったことにされてたじゃん」

という返答で十分だろう。参政権とか財産権とか。

話が少しずれたが、自分の中で「なかったこと」にしてしまっていた人たちの存在に気がつけた。

今のが他人に優しくなれた①

②は人の見た目を悪く言わなくなった。前から言うなよって感じだが、言っていた。反省している。

③は「⚪︎⚪︎なんだから」とか「⚪︎⚪︎なのに」とか言わなくなった。前まで、すっぴんで寝癖ついてますよ?って感じで学校に来ていた先生のことを「女なんだからメイクするの当然でしょ」と思っていたけど、今は「この人はそう言う選択をしてるんだな」それ以上何も思わない。もちろん言葉にもしない。

(話それるんですが、私の学校の女性の先生たちはノーメイクで出勤するし、サンダルで授業してるし、えらい人たちみんな男性ってところを除けば、”私の目に映る限り”女性に対して「女性らしさ」を強要したり、「男女」に執着したり、と言ったことはないなと思う。結婚すると子供産むのかって目で監視されると言う噂を聞いたときはゾッとしたけど、本当かは知らない。)

あんまり書いても。って感じなのでこの辺りで私が優しくなったエピソードは終わりにするけれど、とにかくフェミニズムが私の(他人を傷つけるために)トゲをなくしてくれた。

ここまで読んでいただけたらもうわかってくれたと思うが、

人として1人の他人も傷つけないこと

がフェミニズム。短い言葉にですが私の思いがたっぷり詰まっていることはこれまでの文章から感じていただきたい。

そう、ここまでが人間愛。

自己愛というのは上の他人への「優しさ」のベクトルを自分に変えただけ。

人から求められる「らしさ」から解放されたのは、フェミニズムがレッテルで評価するのではなくその人自身で評価する思想だと学んだから。

何かと「高校生らしさ」「(学校名)生らしさ」が求められて来たように感じていたが、「自分らしさ」とうまくやっていこう。と気楽になった。

見た目に関しても、コンプレックスあるけど、人がどう捉えるかなんて関係ない。「私」の主体は「私」だし。と気楽になった。

自分の決定を信じられるようになった。

こんな感じで。笑

ちょっと飛躍があるように感じるかもしれないが、これから少しずつフェミニズムをテーマ別に砕いていくから、私の今後の記事を読んだ上でまたこの記事を見ていただけたら、ストン、とすると思う。(自分でハードル上げてしまった)

九十九×フェミニズム#1

は以上。普段のインスタのサブ垢で書いてることをカッコつけた文体で書いているようなものだから、文章の構成がダメダメかもしれないけど、コツコツ書いて行こっと。

ここまで読んでくださってありがとうございました。