私と学問との関係性(離婚の危機→新婚カップル)

こんにちは。

JAPANnectの大城和摩です。


今日私が紹介するのは、新渡戸稲造です。

『武士道』を書いたとして有名な新渡戸稲造ですが、今日は彼が残した名言を通して、今の私たちに必要なこととは何か、について話していきたいと思います。

彼の名言に、「真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行の間にある」という言葉があります。

この言葉には、現代を生きる私たちにおいて非常に重要な要素が含まれていると思います。

もちろんですが、それぞれの解釈の内容は異なるので、ここではあくまでも私がこの言葉から解釈した教訓を引き合いに出します。

日本の偏差値教育で育った私は、学問と聞くと、ついつい筆記的なもの(知識的なもの)として受け取ってしまいます(これはほとんどの日本人が同様の受け取り方をするのではないでしょうか?)。

さらに、現在私が大学生ということもあって、毎日学問と隣り合わせに生活しているということになりますが、それはもう顔も見たくないくらい嫌な相手なわけです。

私の抱いていた学問とは、知識と同義でありました。そのため、私は無機質な塊のようなものと一緒に生活しているような感覚でした。

それはそれは楽しくないわけです。

つまり、一方的に相手側(知識)の話や気持ちを聞いてあげることしかできず、そこには何も双方向的なやりとりはなかったわけです。

みなさんも、ご結婚されて、その相手と双方向的なやり取りができないような関係だったら、一緒に生活するのつらいですよね?

私は、つらかったわけです。

離婚したかった笑。

そんなつらい結婚生活を送っていた私の前に、この新渡戸稲造の「真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行の間にある」という名言が現れてたのです。

まさに、白馬の王子様でした。

私の解釈では、学問は、知識ではなく、行いと行いとの過程にある、と言っているように思えました。

つまり、学問は、机などで勉強するものだと思っていましたが、そうではなく、真の学問とは行いの中にあるということらしいのです。

最初は疑い深かった私ですが、まずはやってみようと思い、新渡戸稲造のおっしゃるその行と行の間に真の学問を見出そうと実践してみたわけです。

そうしたら、不思議と、今まで嫌いで、離婚寸前にまでいった私と学問との関係は、一変しました。

それ以来今の私の生活というものは、いつも学問とともにあり、毎日毎日、学問をしていない瞬間などありません、と自信たっぷりと言えるようになりました。

まさに新婚カップルのような関係です。


しかし、具体的に何が起こったのかは、私と学問との個人的な関係ですので、ここでは控えさせていただきます笑

みなさんもぜひ、新渡戸稲造の言った「真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行の間にある」とは何かを考え、そしてそれを実践してみてください。

必ず、みなさんと学問とのそれぞれの個性に見合った関係が見えてくるはずです。

まずは、実践してみましょう!

では、ごきげんよう。

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