私の人生を作り上げた和太鼓集団

みなさんこんにちは!

 とうとう今週も学校が始まり、眠くて勉強が苦手の私には辛い曜日が来てしまいました‥

ですが、今週もミーツでみんなに会えるので頑張って凌いでいこうと思います(笑)


さて!遅くなりましたが、私のブログを閲覧いただきありがとうございます🙂

 前回のブログでお話した通り、私は岩手県出身です。地元である陸前高田市にはジョイスタのみんながボランティアに来てくれたり地元民としてもありがたい事です😌

 陸前高田市は一本松で有名ですが、他にも、観光地やお祭りなど見どころが沢山ある場所でもあります。そのお祭りの一つに「全国太鼓フェスティバル」というものがあります。このイベントは全国からプロの和太鼓の団体の方々を呼んで行うとても大きいイベントです。

 私は幼い頃、このフェスティバルを観ました。その時、和太鼓に感銘を受け、やってみたいと思い母に相談したところ、「陸前高田市にも太鼓団体があるよ!」と言われ、小学3年生から始めました。その団体の名前は「氷上太鼓」という団体です。みなさんが想像するようなお祭りの太鼓ではなく、創作太鼓と言って、自分たちで曲を作り演奏するという団体です。

 太鼓のうち手になり3年目。だいぶメンバーとも仲良くなり曲もほとんど覚えたときの事でした。ところがあの日、震災により、メンバーの一部が亡くなり、メンバーのユニフォームが流されました。一時期は「もう太鼓は打てない」とリーダーから声があり解散にまで追い込まれたこともありました。ですが、メンバーから被災地の団体だからこそできることがあるのではないか?そう考えた私達は、まず市内の被災者のいる避難所(公民館や体育館など)に行き、少しでも元気になってもらおうと慰問演奏をしました。今でも忘れられないのですが、知らない人が避難所に集まりわずかダンボール一枚のプライバシーもない閉鎖的な空間に、財産をすべて奪われ絶望している市民の姿がそこにはありました。高田の人達がこんなにも無表情で、泣いて、人生のふちに立たされている光景を見て、当時中学1年生になる前だった私は、本当に演奏して元気を与えられたのか不安で、やはり演奏してる場合ではないとも思いました。

 当時は岩手県ではどこのTV局も安否情報のニュースをしていて、「私はこの避難所にいます」「幼い息子・娘が行方不明です。どうか助けてください」悲痛な叫びだけが飛び交っていました。各々が避難所をめぐり家族や知り合いに再開したとき、唯一被災者の皆さんの表情が一瞬明るくなるのです。その時にかけあう言葉が今でも忘れられません。それは、「あんだいぎったが、よがったよがった(生きてたのか、良かったよかった)」という言葉です。これは被災地にいた人しかわからないと思いますが、この言葉は魔法の言葉と言っても過言ではないと思いました。

 震災以降、氷上太鼓は全国・全世界から演奏の依頼を受け【被災地は元気です。溢れんばかりのご支援感謝します。】という気持ちを太鼓に込め全力で演奏しました。様々な場所に行くうちにたくさんの方々と接するうちに人と話すことの楽しさ、つながりの大切さ、そして協力し合うことの重要性を身を持って感じました。これが、私を作り上げた和太鼓集団の真意です。

最後に、太鼓での良かった思い出を語って終わりにします。それは、、、

シンガポールに行けたことです! 京都のとあるチョコレート専門店の社長さんが招待してくれたのです!他にも、日韓交流おまつりという韓国と日本それぞれの文化を披露するという舞台に呼ばれ日本を代表する団体の一つとして、韓国に行ったこともありました(✪▽✪)

とてもいい経験になりました(^^)

長くなりましたが、お読み頂きありがとうございました🙂