最短距離で遠回りする

今回の記事は特に明快な結論などはなく、読みづらいと思う人もいるかもしれない。

ただ、これは誰にでも共通で当てはまる生き方についてのことなので、こういう考えの人もいるけど、自分はどう考えるかなと考えみていただければ十分です。
途中であなた自身について考えてみたくなったらブラウザを閉じてメモに自分の考えを書いてみるのもいいでしょう。

では本題です。


昨日、地元に旅行に行き、その中で2年ぶりに訪れた場所があった。兼六園の近くのライトアップをしている庭園なのだが、記憶の中ではかなり印象に残っているライトアップで、とても期待していた。

しかし、実際は、印象ほどではなかった。確かに、きれいで、行く価値はある。ただ、自分の中の記憶に込めた期待ほどのものではなかった。

このときに「舌を肥えさせない」ということについて考えた。

これは自分がもともといいなと思っている考え方で、日頃から高級なものを食べて、庶民的なものを満足できなくなるよりは、毎日の現状に満足できるように期待値を下げておこうという考え方であるといえる。人生で見落としがちなちいさな幸福を見逃さないようにしようという態度であるとも言える。

大学生活の2年間の間で、京都で生活し、いくつかの場所に旅行したことによって、2年前では刺激的に感じていた刺激がそこまで刺激的には思えなくなっていた。

神経伝達物質の作用によって足るを知るを無意識に忘れていたのだ。

一方で、自分の中にはこの考え方は貧しい考え方だと捉える側面もある。

カタルシスの記事でよく話題に上がる、「知らないということを知らない状態にある」ものに対しての可能性を捨てている態度であると思えてしまう。
また、自分のやりたいことや成し遂げたいと思っている感情を無視することであり、よくある「自分がやりたかったことをやらなかったことに後悔している」という辞世の感情に行き着くものでもあると考える。

この反対側の立場は、人生をいわゆる成功という軸において良くしていこうという立場であると捉えられるが、これもこれで問題がある。カタルシスの代表の山本も少し前に記事にしていたが、ワーカーホリックになってしまったりして結局幸せとは遠ざかってしまう。という現状に陥ってしまいやすいという大きな落とし穴だ。


つまり、
目標を設けなければ生きがいがなくて苦しい人生、
目標を設けたら全速力で遠回りする人生。

不安感を煽りたいわけではなく、これが将来について考える大学生が生に感じていることなのだ。

諸子百家のようになにかの生き方を決めてしまえるような強い信念があればそれは選択肢を絞れるのだろうが、一般的な人間にはそんなものはないし、あったとしても、それが死ぬまで正しいとは証明できない。


ちょうど諸子百家というワードが出てきたように、人生も哲学などの学問のようなものであるとも考えれる。
他人が途中まで出した最適そうな生き方を取り入れそれを自分で実践してみて、より良さそうな人生を模索する。

ただ、学問と人生では1つ大きな違いがある。それは、学問は自分がゴールまでたどり着く必要はないが、人生は自分の中で満足したゴールにたどり着きたいと思っていることである。

締切があるという点で言うと、アーティストやビジネスマンと言ったほうが近いかもしれない。

つまり、答えがないまま、最適そうな選択を取り続ける必要があるということである。

しかし、この意識だけではワーカーホリックのようになる人が続出すると思うし、自分もそうなってしまうことは容易に想像できる。


ここまで、今悩んでいる将来と生き方について文章にしてみたが、自分は今の所、
自分は現状最適な選択肢をわかっていないということを自分でわかっているという状態が結構バランスのいい状態じゃないのかなと思っている。

常に自分に対して、第三者視点を取り入れることと、新しい情報を取得し続けることが大切だと意識させ、そのつど時間をとって考えることが盲目的に遠回りをする人生の防止策として少しは効果があるんじゃないかなと思う。

ここまでよくわからないままに読んでくれたあなたには是非自分の将来と今に対する考えを文章にしてみてほしい。
遠回りをしたことに気づくのがおそすぎて後悔する前に。

まさなり
2020.11.16

わかる。足るを知るや。

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