合理的って何?

「賢いってことがそういうことなら、オレは一生バカでいい」

これは漫画NARUTOの一コマなんですが、私が一番好きなセリフです。

こんにちは。まさなりです。

このセリフには、「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ、それが俺の忍道だ!」という、うずまきナルトの生き様がよく現れてますね。

このセリフで「賢い」ってどういうことなのかを考えさせられました。

「賢い」と聞くと、あなたは他にどんな言葉を思い浮かべますか?

「頭の回転が早い」「博識」「頭が柔らかい」「思考力がある」…

色々出てくるかと思います。人によって、数学的な論理的思考力がある、いわゆる合理的思考ができる人を「賢い」と思う人もいれば、たくさん物事を知ってるような知識量がすごい人を「賢い」と思う人もいて、誰もが思いつかなかった事を思いつく鋭い視点や発想力を持った人を賢いと思う人もいる。とても多義的で面白い言葉です。

 

私実は、卒論の勉強の真っ只中なんですが、ちょうどさっき出てきた「合理性」にまつわる面白い論文を見つけたので紹介します。


 

まず、合理性についておそらく最も有名な分析をしたのが、マックス・ウェバーという社会学者。「目的合理性」と「価値合理性」という言葉は聞いた事ありますか?

 

「目的合理性」というのは、行為の結果に注目して、ある目的に対してその手段が因果関係的に適切なのかという合理性。例えば、ダイエットすると言う目標に対して、欲望に負けて夜中に甘いもの食べてしまうのは目的合理的とは言えないでしょう。

「価値合理性」というのは、行為そのものに注目して、その行為の意義と自分が大切にしている価値が合っているかという合理性。例えば、さっきのナルトで言えば、「友達」を大切にしているナルトが、誰になんと言われようと、里のルールを破った友達のサスケを助けに行くことは価値合理的と言えるでしょう。

 

そして、ここからが特に面白いなと思ったところなのですが、この合理性を参考に、シュルフターという人が人の行為の志向性を3つに分類しており、それぞれが真・善・美に対応していると考察していました。その3つというのは、認知的領域・評価的領域・表出的領域で、

真に対応する認知的領域には、目的合理的行為を、

善に対応する評価的領域には価値合理的行為を、

美に対応する表出的領域には感情的行為を、分類しています。

ちなみに表出的志向の行為とは、美味しいものを食べるとか即時的な欲求を満たすための自己充足的行為のことらしい。


これを知って面白いなと思ったのが、人がどんなキャリアを理想として選ぶのかという上で、ひとえに合理的と言っても、真・善・美、どの視点を優先させるかによって、人によって全く考え方も選び方も異なってるなという現状です。(美は合理的とは言えないだろうけど…)

 

「将来起業するならこういう会社行った方がいい」「最短で1000万稼ぐなら、外資系銀行だ」

「社会貢献できる仕事がいいから、NPOに行く」「のんびりしてる方がいいからホワイト企業」

「なんか雰囲気良さそうやからこの会社行きたい」「色々考えても仕方ないや、やっぱびびっと来たのはココ!」

みたいな感じで、それぞれどれも魅力的な考え方で悩ましい。(補足すると、私が読んだ論文によれば、目的合理的行為も価値合理的行為も感情的行為も実は結構境界が曖昧で、単純に綺麗に分けれるものでも無いらしい。程度の問題だったりする。)

 

この真善美という言葉は、辞書によれば「人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。」とも記されている。

そりゃ、それぞれがぶつかり合うとき、どれを大切にするのかかなり難しい問題になるわけだ。


うーん。悩ましい。合理的に選んだ答えでは、意外と後悔したりする。心が本当は納得してない時とか。

でも、どうせなら合理的に行きたい。損したくもない。

そう考えると、「賢い」生き方ってなんだろうか?私は、ナルトの生き方は「賢い」と呼びたい。

あなたが思う「賢い」生き方ってなんですか?

 

今回は、心のモヤモヤをパッと晴らすようなカタルシスは出来なかったかもしれない。けれど、これが考えるヒントになれれば幸いです。

(逆に、悩みを増やしてしまったたらごめんなさい笑)

 



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