こんにちは。カタルシスの山本周雅です。
今日は「尊敬」について、考える節があったのでそれをシェアします。
いきなりですが、あなたには「尊敬する」人はいますか?
実はこの質問が今日の大きなカギを握っています。
僕は「尊敬」されたくない。
この言葉の意味をこの記事を読みおわる頃には理解できるようになりますし、さらに今後、あなたの人生を考える上でも非常に役に立つ素養になると思いますのでお付き合いください!
まず初めに、尊敬とその他の似てる言葉の意味から整理し、そのあと核心に迫っていこうと思います。
尊敬に近い言葉として「尊重」と「リスペクト」があります。
これらの単語の違いをはっきりさせていきたいと思います。
まず、尊重は「価値あるもの、尊いものとして扱うこと、重んずること」という意味です。人に対してだけでなく、モノに対しても使いますね。人権を尊重する。などなど
それに対し、尊敬の意味は「その人の人格、行動、業績などを優れたものと認めてその人を敬うこと」という意味です。こちらは、人について、もしくは人関連のことにしか使いません。イチローを尊敬する。などなど
この2つのワードは同時に使えるということです。どういうことかというと、「尊重できるが尊敬はできない」状態が存在するからです。つまり、価値があると認めつつ、優れていると思わないときですね。故に、この2つの単語は似て非なるものであるということです。
使う対象が違うのはもちろんのこと、尊重には相手を同じ目線でみており、尊敬には相手を目上に見ているニュアンスが存在します。
さて、ここで「リスペクト」について考えてみましょう。
リスペクトは本来は、尊敬、尊重とは実は違うもので、「賞賛」や「評価」の意味合いに近いです。つまり「その対象の存在を重視し、大切にし、注意を払う」という意味を持っています。
3つの言葉の違いは理解できましたか?
短くまとめると、
「尊敬」は「ヒトに対し優れていると認め、敬うこと」
「尊重」は「ヒトやモノに対等の立場から価値を認め、重んずること」
「リスペクト」は「対象の存在を重視し、大切にし、注意を払うこと」
ということになります。
さてさて、ここから核心に迫りたいと思います。
僕は「尊敬」されたくない。
この言葉には個人的な「尊敬」への毛嫌いが絡んでいます。
尊敬という言葉は、優れているという文脈上「手の届かない」や「自分より目上である」ことが前提になっています。
これ自体が良くない理由は2つあります。
1つは、目上だとか目下だとかが人を曖昧な尺度で上下を決めてしまう可能性があるからです。これは自分の可能性を狭める可能性も他人への可能性への期待を下げる可能性もあるのです。
もう1つは、仮に手の届く範囲になった時に、その「尊敬」はなくなり人を軽んじてしまう可能性が高いからのです。実力をつけて調子に乗ってしまう人はこの傾向は強いと思います。
この2つの理由から、僕は尊敬されるということに対し一抹の不安と多分の拒絶感があるのです。故に「尊敬」されたくないのです。同じことを思う人は少なくないと思います。
ではどうすればいいのか。僕は「尊敬」をやめ、人への「リスペクト」をすることをお勧めします。
どうして尊重ではないのか。実は尊重とリスペクトの間にも少し違いがあります。(ニュアンスの違いですが)
結論から言うと、尊重には一方向性、リスペクトには双方向性があると思います。
たとえば、「子どもの意見を尊重する。」という場合は、「子どもの意見を重んじる。」これ以外のニュアンスはあまりありません。
それに対し、「子どもの意見をリスペクトする。」というと「子どもの意見は大事、ただ他の意見も大事だよね。」そういうニュアンスがあるのです。
つまり、尊重は絶対的な視点でとらえているのに対し、リスペクトには相対的な視点が必ず存在しているのです。
わかりやすくいえば、「尊重している≠リスペクトしている」ですが、「尊重しあっている≒リスペクトしている」という感じです。
この状態であれば、あなたが仮に誰かをリスペクトしてたとしても、あなた自身も同時に1個人としてリスペクトされる存在になりうるということなのです。
これであれば、お互いの価値を認め合うことになるため、目上、目下の変な尺度を産む可能性は少ないですし、あなたが成長しても相手への敬意は消失することもないと思います。
はい。結構息苦しい話でしたが超えられましたか?笑
僕が「尊敬」されたくないといった理由はわかりましたか??
あなたには「尊敬する」人はいますか?という質問は結構曖昧で、危険のある質問だということも分かってもらえたでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕たちのBAR、カタルシスはいつもこんなことをずっと議論していたりします笑
はたから見ると身もふたもないことかもしれませんが、僕はこれこそが教養であり、みんなが1つ1つ追い求めていかなければならないことかなと思っております。
少しでもこういう議論やお話に興味を思った方はお酒片手にカタルシスで僕と語り合いましょう!
もちろん、「リスペクト」の意識をもってね。
読んでいただきありがとうございました。
【FIN】カタルシス代表 山本周雅