「恩返し」

​はじめまして。近畿大学二回生の丹下稜介です。最初にブログを通して、皆さんに自分の考えを伝えることは初めてで、自分の考えを話すことは得意ではないのですが、下手なりに書いた文を最後までお読みただけると幸いです。
まず、生きていく中で、誰かに支えられている。それが当たり前に感じてしまうことや、何も感じずに過ごしている人が多くいると思います。私もそのうちの一人でした。

中学生時代は三重県の中学に通いながら奈良県のチームに通わしてもらっていました。片道一時間半の道を週六日仕事終わりに送り迎えをしてもらい、練習が終わると一時間半かけて三重県に戻る日々を三年間続けていました。当時の私の考え方は感謝と言いながらも何も行動をしておらず、自分のサッカーの環境ばかりを考えており、勉強もせず、自分中心にテスト期間でも遊びに出ていくような人間でした。中学最後の大会で、初戦で負け、中学サッカーを引退することになり、その帰りの道で家族に感謝の言葉を伝えることになり、伝えると母が泣いていることに気づきました。それだけ自分のことを第一に考えていたからこそ出た涙だと当時の私は気づくことができませんでした。

高校生になり、大阪の近畿大学附属高校に通うことになり、家を離れ大阪の祖父母の家に住むことになりました。一年生でチーム練習に合流した初日に膝に違和感を感じ、病院に行くと、膝の二分膝蓋骨という怪我を両足していることがわかりました。原因がわかっておらず生まれつきのものあるといった、膝の怪我の一つをしてしまいました。その当時はAの練習に入るだけで、試合に出れるような実力もなく、Bチームでランニングをする時期の方が多くありました。その当時は怪我もあり、サッカーを続けていく意味や、新しく慣れない場所でのストレスなどから部活を辞めることや、練習をサボることばっかり考えていました。その時でも家族が部活の話などの相談やいろいろな話をすることが増え、週一は絶対にLINEでコミュニケーションを取るほど自分のことを第一に考え、祖父母は毎日5時に起きて朝弁当を作ってくれたりなど色々の支えを感じ、その時初めて支えの大切さや感謝の気持ちを忘れてはいけないことを感じました。

大学生になり、今までの人生で見たこととないような上手い選手が多くチームの仲間になり、一年時ではIリーグのベンチでスタメンに出ることができずにいることが多くありました。その中で起きたサッカー部の不祥事の事件。練習ができない日々が続く中で、サッカーから気持ちが離れていくことがあり、続ける意味などを考える日々がありました。その中でも家族やチームメイトが自主練に誘ってくれることもあり、気持ちも折れることなく再開を楽しみに待つ自分がいました。八月一日から部活が再開することになり、初めての対外試合での桃山大学との試合ではトップチームのスタメンで出ることができました。自分一人ではどうにもできないことも親友や家族の支えがあることで立ち直ることができるだけでなく、前の自分よりも強くなれる。支えてもらった多くの人に恩返しができるように、日々の練習や生活を大切にしていきたいです!

拙い文章ですが、最後まで読んで下さりありがとうございます!

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