3年間ラクロスを通しての思い出

こんにちは!
経済学部国際経済学科3年の小原日和ことぴーすです!!

「精神的に向上した」

ラクロスにおいての三年間の思い出(学んだ事)はこの言葉に尽きるかなと思います。
ここでなぜそう感じたのか少し長くはなるのですがお話すると、

去年、同期の一人と話をしていた時

「自分が感じるいい人とは何だろう?」という話になりました。

私はそこで考え出した答えが

「他人のせいにしない人、そして余裕がある人」と答えました。


なぜその答えに至ったかというと、他人のせいにしている人は余裕がない人だし、精神的に向上をすることができない人であると感じたからです。


特にこれが現れるのがチームスポーツだとラクロスを通して感じました。
例えば

味方の一人がミスをして相手ボールになってしまったとします。このボールは試合中盤、苦しい場面からやっとの事で繋いだボールだとして、そこでの感情パターンを考えるとします。

私はそういった状況下において、以下の二つのパターンが起こりうるのではないかと考えました。

①味方が、そのミスをした人に「なんでそこでミスすんの?せっかくいい所までいったのに」と感じる負の感情

②味方が、そのミスをした人に「ナイスチャレンジ、奪われたなら取り返そう!」という正の感情

この二つの感情は誰しもがなったことがあると思います。特に①に関しては多く感じる事があるのではないでしょうか、「もし〇〇だったら~だったのに」と 

私も実際そういった考えをもつことが多々あります。しかしながらその考え方は間違っているとラクロスを通して気がつきました。

誰かがミスをしたのなら自分がカバーをすればいいし、結果ボールを取り戻したらいい

①で考える時はおそらく自分に余裕がない時で、そしてその結果他人のせいにするのではないかと思います。

もし自分に余裕があれば「私はこんなにやってるのになんでやってくれないの」という思考回路にはならないのです。


そのため私は他人のせいにしない、そして自分に余裕があるような人が、私が考えるいい人で、そういった人になりたいと感じています。


上記のように私は、「私が考えるいい人」に関しての考えを述べたのですが、ラクロスに出会う前までは上記の様な考え方ができなかったと思います。


この三年間ラクロスを通して沢山の成功・失敗、そして支えてくれたラクロスの仲間に出会えたからこそこの考え方は形成されていったのではないかと思います。


そのため私は三年間ラクロスを経験してみて、
ラクロスという競技自体を学ぶだけではなくて、チームプレーの本質的な部分を身をもって体感し、そして考え方が変わる程にも精神的に成長することが出来たと感じています。


少し熱く語ってしまいましたが、私にとって三年間のラクロスは精神的に向上した、成長させてくれたスポーツだと思います。

私のこの考え方は一概にも正しいとは言えないのですが、
他のチームメンバーにもそれぞれが感じる成長する瞬間を肌で体感してもらいたいと思います。そしてラクロスに出会えて良かったと思えるような瞬間を経験してもらいたいです。

なので私は残り一年ではあるのですが、チームメイトがラクロスに出会えたおかげで成長できたと感じれる瞬間を幹部の立場として創り出していきます。