世界共通理念としての「宗教」

【復習】宗教単元

◎講義の内容

●飯嶋先生の活動
・オーストラリアの先住民族のフィールドワーク
→「内」の視点
 トーテム→聖地から離れずに衣食住を行う文化
・児童養護施設でのフィールドワーク
→「外」の視点
 虐待の正当化を防ぐ
・水俣病患者との交流
→「内」と「外」の視点
 様々な偏見がある中、水俣病は「神」であるとする考え方をもつ患者の声もある

●写真集「センチメンタル冬の旅」・詩集「あなたはそこに」から紐解く「宗教」
・妻の余命宣告からの写真の変化
​「空洞」的で、空に注目したり、妻を想起させるものを何回も撮ったりしている。
→「死」を受け入れられず、妻への執着・狂気を感じさせる
・「死」を乗り越えた後の心情の変化
→亡くなる前よりもその人のことを想うようになる。

●チーム発表
・どの宗教もルーツは同じで、あくまで既存宗教への批判から新しい宗教が生まれているに過ぎない。
・神学: イエスは「神」⇔宗教学: イエスは「人間」
​→イエスの「復活」は、イエスの周りの人々が亡くなる前よりもイエスのことを想うことで成立しており、私たちが身近な人の死と向き合う時となんら変わりはない。
・ご縁によって「生かされている」という感覚は、世界共通理念である。宗教=信仰ではない。

◎講義やリフレクションを受けて

​「宗教」と聞くと、どうしても縁遠い存在に感じてしまっていたが、身近な人や物などの喪失体験による「負債感」は、世界宗教での感覚にとても近く、また去年とはまた違った視点で宗教の身近さを感じることができた。
前回まで、「神頼み」などは自分都合の信仰だとネガティブに捉えていたが、これを長期的に捉えると世界宗教と何ら変わりはないという考えは、ある意味自分たちの宗教との関わり方を肯定してくれているようで嬉しくも感じた。
宗教が人によって捉え方が異なることは、まさに対話的な思考で物事を見ることが大切だということを教えてくれる。そして、ご縁によって「生かされている」という感覚は、今後の人生においてとても大切にしたい価値観だと感じたし、自分の生い立ちを改めて振り返るいい機会になった。
​「宗教=法律」という考え方も大変腑に落ちた。ちょうど講義前に国家単元の予習をしていたときに、ルールというよりも共通の「価値観」が良い文化を生み出すのではないか、という話をしたばっかりだった。みんなが同じ方向を向けるルールを設けたことが、結果的に多くの人々の心に刺さり、世界宗教となっているのではないかと感じた。
紛争が絶えない世界ではあるものの、誰しもが同じ価値観を共有していて、みんな良き社会を望んでいるという「性善説」を忘れず、日々感謝を忘れずに過ごしていきたいと思う。

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