【予習】経済単元
◎事前課題に対する仮説
Q1 対話(ダイアローグ)とは何か。討論(ディベート)との違いは何か。
【対話について】まずは対話について、辞書から定義を洗い出した。
・向かい合って話し合うこと。また、その話。(goo国語辞書)
・直接に向かい合って互いに話をすること。また、その話。多くは二人の場合にいう。対談(日本国語大事典)
>同じ「場」で語らうことがポイントになっている?
<その他の実践例>
①ダイアローグインザダーク
全く光が入らない部屋で、視覚障害者の方と参加者が一緒になって対話をするイベント。インサイレンスとして、大きいヘッドフォンをして聴覚障害者の方と対話をするものもある。聴覚を遮断、視覚を遮断などは、条件を統一して共有する「場」をつくるための工夫。そうするとやはり、同じ条件で「場」を共有することが対話の必須条件なのだろうか。
②対話カフェ
以前LAPに参加されていた方が始めた「対話カフェ」というイベントに、私はLAPに参加する前から長い間関わってきた。そのイベントでは、大学生/社会人関係なく様々な人をお呼びして、オンライン上で週一回2時間程度対話をしていた。私たちの対話カフェでの「対話」は、何かテーマを決めてそれについて話すという形をとっている。(テーマ例:終活について考えよう、憧れの人って?、好きになるってどういうこと? 等々)私たちの定義としては、対話は結論を出すものではないという点で議論とは違い、話にテーマ性を持つという点で雑談とは違うとしていた。違いを尊重しつつ、自分が変わることを楽しもうというスタンスで続けている。
>対話は「話すこと」それ自体が目的。結論を出したり、考えを競ったりするものではない。
【討論について】
こちらもまずは辞書の定義を洗い出した。
・互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容。(goo国語辞書)
・①互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。意見を戦わせること。また、その意見。②ある事柄を問題として、論ずること(日本国語大事典)
>話す内容、何を目的にするかが重要?
<その他の実践例>
・全国教室ディベート連盟
この団体では、ディベートを「ある特定のテーマの是非について、2グループの話し手が、賛成・反対の立場に別れて、第三者を説得する形で議論を行うこと」と定義し、その目的は相手を言い負かすことではないとしている。また、もし仮にメリットとデメリットが完全に拮抗した場合は、その策を導入するメリットがないとしてデメリット側が勝利する。
>議論すること自体が目的ではなく、そこからなにかを生み出すことが討論の目的となっている?
これらのことをチーム内で話し合った結果、二者以上で行われる相互行為を、拡散か収束か、対立か共感かという二軸を使って分類できるのではないかということになった。収束かつ対立の極地に位置するのが討論で、対話は拡散かつ共感の極地に位置する。しかし、対話はその極地のみにあるわけではなく、対話の場や種類によって、収束的にも対立的にもなり得るフレキシブルな存在ではないか、ということで落ち着いた。
◎課題図書・資料・フィールドに触れて
【課題図書を読んで】「里という思想」(内山節), 2005, 新潮社
都会で生活しながらも定期的に農村に通い、そこでの「里」の暮らしを通じて現代の生き方を問い直す著者の鋭い視点が書かれていた。書かれたのは2005年だが、十分に現在にも通ずるような指摘がなされていた。私たちは、もはや本当の意味での古い時代のコミュニティを知らない。私たちの想像する「農村の共同体」も、完全には昔の通りではない。10年後に確実に起こるのは世代交代である。いわゆる旧時代的なコミュニティを知らない世代が、今度はコミュニティを作っていく側になる。個人化し、多様化し、地縁をほぼ失った私たちは一体どんな未来を歩むのか。そういったことを考えさせられる著者の思考の断片が随所にちりばめられた本であるように感じた。
変革しなくてはならない、前に進まなければならない、という現代病は、著者が指摘しいていた通りこの約20年後の今でも蔓延しているように感じる。実際にそういった前進により生まれたテクノロジーで、以前よりもはるかに快適な暮らしを送れていることに間違いはないが、逆にそうでないものへの視座を失っているように思われる。著者の指摘する多元的で多層的な生き方への視点を忘れてしまえば、私たちは今までの積み重ねの歴史という足場を失い、それ故にぐらついてどこかで倒れてしまいかねない。グローバルな時代だからこそ、ローカルな視点、そしてかつてのローカルへの畏敬を忘れてはいけないように感じた。
【10年後に起きることとは?】
<個人で考えたこと>
私は、課題図書を読んで、10年後はより個人間の分断が進むのではないかと考えた。地縁や血縁的な、合理的な理由のない、そして相当なことが無い限り脅かされることのないつながりが弱まり、趣味や自己実現の場におけるコミュニティ化が進む結果、個人個人が同じような未来を歩むということが少なくなるように感じた。それは、個人が個人として独立でき、自由に未来を選択できるという点では素晴らしい未来だが、逆に進むべき道がよく見えなくなった結果、逆に旧時代的な明文化されていないルールが強まるのではないかと考えている。よりどころとするものを失った結果、「みんながこうしてる」「こうした方が効率がよい」という基準に、人々は戻っていくのではないかと感じた。
<グループワークを終えて>
他の図書の話を聞いて、マクロな視点が抜けていたと感じました。他の図書においては、世界全体における貿易戦争の結果、今後我々が何を求めていくかについての言及があった。これまでは物質的な豊かさを求めてきたが、それは今度は別の価値観に変わっていくのではないかということが予測されていた。話し合いの中でもでてきたが、私たちは実際にその物資的な豊かさを求めるところから離れざるを得ない状況に直面しているように思われる。環境問題、SDGs、パンデミック…。対処しなければならない問題が各所で表出し、価値観を変えていかなければならない時代に来ていることは、グループメンバーのほとんどが共有していた感覚であった。どちらかと言うと、グループ全体では10年後を悲観的に捉える意見が多かったのは意外だったが納得する部分も多かった。誰もがマイノリティで、共感しづらい社会において、どんな問題が浮き彫りになっていくのか。引き続き、実際の講義の中で考えていきたい。