宗教単元

宗教は心に余裕を与えるものだと考えてきた。
宗教といえば、神様や仏様という存在が軸になると思うが、「信じるものは救われる、神に祈りなさい」という考えがあったり、心に余裕がない時に神や仏を信じることで少しでもゆとりを作ろうとする一素材であると考える。

「人間には聖なる場所を選ぶことは許されない」という記述について。
私は今までの人生を振り返ったときに、「自分で自分の進むべき道を選択した」と思っていた。例えば、カンボジアで地雷撤去のボランティアをすることになったときも、高校も大学も、自分でやりたい、ここで学びたいと思い、自分で選択してきたと考えていた。

「人間には聖なる場所を選ぶことは許されない」という記述を踏まえて考えると、自分で選択したのではなく、その選択をするまで、偶然という名の神に導かれていたのだと気づいた。

カンボジアで地雷撤去のボランティアも、たまたまカンボジアに大学生がチャリティーイベントを通して小学校を創るという映画を見た事がきっかけで、高校を選んだ時も、オープンスクールに参加したときに「ぜひこの高校のいいところだけでなく、悪いところも見つけてほしい」という校長先生の言葉に感動し、受験を決めた。これもたまたまオープンスクールに参加し、校長先生の話を聞いていなければ、この高校への入学は選択していなかった。
また、うまくいかなかった時も、「ご縁がなかった」「神様がやめておけと言っている」と自分を納得させる材料に神様を使う時もある。
つまり、私たちの「選択」は一見、自分で」しているように感じられるが、偶然の繋がりがその選択へと導いており、神に聖なる場所へと導かれているといえるのではないか。


No Name
2022.01.17

信じるものは救われるというように、何かと自分に余裕がなくなったときは宗教にすがることで一時的に心の余裕をもたらすことを感じますね。
自分で選択したというものも、神様が導いたものというように、私も人、モノとのつながりをもっと大事にしていきたいと思いました。
導かれた以上、自分から与えていける人になりたいと思います。

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