【復習】経済単元
◎講義の内容
【1日目】入ってすぐに思わず出た言葉は「わあ、すごい!」
都会住みの私にとって「玉乃井」は異世界だった。
2日間を通して、今まで抱いていた「経済」のイメージを疑い、「正解のない問い」に対して感じたままに話してわからなくなりモヤモヤするという経験をしてほしいとのこと。
自分にとっての「経済」とは何かを考える2日間が始まった。
対話と討論の違いについてチームごとの発表。
私たちのチームでは、「議論は収束させるもの」だという意見を述べたところ山口さんから「議論も拡散するし収束もするのではないか」と指摘され、議論はこう、討論はこう、という固定観念が壊れた。観点によって考え方は大きく変わるものだと実感した。
対話と討論ははっきりわけられるものではなく繋がっている、という意見を出すチームや、学校教育の対話の重要性を説いているチームもあって、対話一つとっても様々な観点があることが興味深かった。
その後、10年後の社会で起こることについてのチーム発表を行った。
お金の価値観が変わるのではないかという意見や、どのコミュニティに所属するかを自分で自由に選択することが当たり前の時代が来るのではないか、といった興味深い意見が多かった。一方で、AIが何もかも判断する時代になるかもしれないという意見について、AIは確実だけれど不確実性に身を置くのも人生には必要だと思う、といった意見もあった。
山口さんは、「無知の知」の意識で行うべきものが対話であり、特に誰も経験していないことについて考えるにあたって対話が重要になってくるとおっしゃった。いつでも常識は覆る。自分自身を省みること、Critical Thinkingは人や感情に結びつけず「意見」に対して批判するものであるという意識をもつことが大切だ、とのことだ。
1日目の最後は、みんなできれいな夕焼けを見た。きれいな夕焼けは経済的な指標で考えると全く価値がないけど、それでもみんな夕焼けをみると心を動かされる。「今日も幸せな一日だったな」と感じるのは、夕焼けを見たり、いろんな人と対話をしたりするとき。でもこれは客観的に数値で測れない。私たちは数字に囚われているけど、果たして私たちの幸せは経済で測れるのだろうか。経済的指標のとらえ方について改めて考えさせられた1日目だった。
【2日目】
2日目の最初は、海の目の前で瞑想体験をした。瞑想をしたことはあるが、自然の中でしたことはなかったので新鮮な経験だった。瞑想を始めて何分か経ってから、まるで自分が海と一体化したような気持ちになった。自分もまた自然の一部なのだという意識が強まり、こんなに素晴らしい自然の経済的価値がゼロなのがあり得ないと感じた時間だった。
山口さんの経歴・取り組みについてお話を聞いた。
山口さんは地域コミュニティの中で様々な年代の人たちとお話をすることで視野が広がるとお話されていた。町の人々は、子供が商品を売り歩いていても嫌な顔一つせずむしろ面白がってくれる人たちだった。買う側の人々も自分の元に来てくれる嬉しさ・自己肯定感が上がるからだという。子供の自己肯定感が低いのは、競争原理の中にもまれているからで、夢をもっていないとだめなのではないかと考える子供たちが多いためだ。子供たちを救うべく、あえて「だらしない」大人に会って考えさせる「Talk for dance」というイベントを定期的に開催しているという。自分の夢なんてなくていいし、持っても変わっていいし、置かれた場所で咲けばいいという言葉は、私たち大学生にも刺さるものがあった。
休憩の時間は、近辺のごはん屋さんに行ったり、神社にお参りして水で溶ける津屋崎みくじを引いたりした。散策している途中、私たちのことを知らない町の人たちが挨拶してくれた。隣の人が何をしているのかさっぱりわからないような都会に住んでいる私にとって、町を歩いているときに知らない人に挨拶されるのは初めての経験だったが純粋に嬉しかった。地域コミュニティと聞くと、どこか閉鎖的で、外部の人を寄せ付けないのではないかという印象があったが、津屋崎の人たちはむしろ外部から来た人に寛容で、伝統を大切にしつつも新しいことも受け入れる姿勢に感銘を受けた。
午後は対話メインで行った。「利益の最大化と安くて良いものを同時に実現するには?」といった経済とは何かを考えされる問いについて考えを深めた。発明は、世の中の生活を便利にはしたかもしれないが、創意工夫やワクワク感を奪ってしまっているのではないか、という意見は考えさせられるものがあった。何より、経済の中に「愛」が含まれることが大事で、ほぼ同じ内容のものがあったとしたら、迷わず「愛」が含まれている方を選びたい、という意見に共感した。