私の好きな場所は昭和のラブホテルです。
いきなり、昭和のラブホテルと言われてもあんまりイメージ出来ないと思いますので、
まずは、昭和のラブホテルとはどういったものか
次に、昭和のラブホテルが好きな理由をご紹介させて頂きます。
では、さっそく昭和のラブホテルとはどういったものか、実際に私が行って撮影した写真を使って紹介していきます。
まずは、大阪の遊園地ひらかたパークの近くにあるラブホテルです。
部屋の中にメーリーゴーランドがあるのが特徴です。ひらかたパークで遊んだ後も遊園地気分が味わえる部屋になっています。メーリーゴーランドあるだけでも、テンションが上がるのですが、なんとこのメリーゴーランド動きます。ただ動くスピードはすごくゆっくりで、たまに止まっちゃいます。そんな時は一度降りて人力で押すとまた回り出します。
次のホテルは岡山県にあるホテルフランセです。
ドアを開けると直ぐに汽車型ベッドと光る線路が目に入りこれまたテンションが上がります。このベッドは可動式で光る線路の上を前後3メートル動きます。ベッドの中は囲われた秘密基地のように感じられ童心を思い出します。
最後に長崎にある長崎倶楽部を紹介いたします。
豪華絢爛な内装は入った瞬間圧倒されます。また、ラブホテル業界大手のレステイグループ経営のため料理が美味しかったり、アメニティが充実しており高級ホテルのようなサービスです。この様に昭和のラブホテルは非日常で異次元なものが多いのが特徴です。
次にこの様な昭和のラブホテルがなぜ好きなのか話したいと思います。
私は「ラブホテル」は、日本の文化だと思っています。プライベート空間の少ない日本の住宅事情から生まれたラブホテルは、社会背景を色濃く映し出しています。そんなラブホテルから透けて見える文化を考えるのはとても面白いです。
例えば、昭和初頭に連れ込み宿としてラブホテルは生まれました。その時代は家にお風呂はなく皆銭湯に通っていましたので、夫婦水入らずで風呂に入れることもラブホテルの大きな魅力だったと言われています。その後、昭和38年に誕生したモーテルタイプ、車で入るスタイルのラブホテルはマイカー時代の到来とともに日本中に出来たと言われています。この時代は、営みのために行くのはもちろんですが憧れの3C、カラーテレビ、クーラー、カー、車で入れるが体験できる空間としてももてはやされたといいます。その後、昭和48年に目黒エンペラーという西洋のお城風ラブホテルが大流行し各地でゴージャス感を重視したラブホテルが建てられたそうです。ただ、昭和59年、ファッションホテルという呼び名が生まれ、シンプルにすれば建設費が安い、清掃が楽などの理由からゴージャス期からシンプル時に変わり始めました。そして昭和60年新風営法の施行(しこう)により、回転ベッドや鏡張りなどの過度な仕掛けや装置が禁止され昭和のラブホテルの文化は衰退したと言われています。昭和のラブホテルの部屋を見ながら、この部屋はどんな時代にどんな思いで作られたかを想像するのがとても面白いです。だから、私は昭和のラブホテルが好きです。
というのは、カッコつけた建前で
本当の好きな理由はただただワクワクドキドキするからです。昭和のラブホテルには今のラブホテルにはないハチャメチャさがあり、それに私はワクワクドキドキさせられます。それはなぜかという問いに映画監督の村上賢司さんが答えており、私はそれにすごく共感いたしました。その為、それを紹介したいと思います。
村上さんの考えでは昭和の頃には、おそらくマーケティング無視の「俺が面白いと思うから面白いんだよ!」というゴリ押し精神がまかり通っていた。確かに、現在のお客様が欲しいものを考えてカタチにすることはすばらしいことで、それによってモノは売れ、店は繁盛する。しかし、マーケティングの精度が上がれば上がるほど、面白くてドキドキするものは生まれない。なぜなら、それは単なる最大公約数だからだ。昔の人もお客様のことは考えていたと思う、ただ最後の最後には「俺が面白いと思う」があって、それが世に出ていたはず。そんなことが許されていたマーケティング未発達のユルい時代の象徴が昭和のラブホテルだと思う。
ここまでが村上さんの言葉なんですけど、この話が正しいかどうかは私には分かりません。がきっとそうなんだろうなと思っています。そして、ラブホテルを作った誰かの「俺が面白いと思う」がたまたま私にどはまりして、ワクワクドキドキしているんだと思います。
以上、私の好きな場所は、ドキドキワクワクさせてくれる昭和のラブホテルでした。皆様にも少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。