好きだからの呪縛

大学で設計を教わり初めて間もない頃。
尊敬する先生から、設計は「理性×感性」が大切なんだよ。と教わった。

当時良く意味がわかっていなかったけれど、いつもどこか胸の中に留めていたら、最近なんだかわかる気がして設計が一段と楽しいと感じることが増えてきた。
そんな中。最近、設計をしていくにあたって、僕の”大切にしていること”のバランスが難しい。

僕は「事実を掘り下げて本質を見極めていく。」ということをテーマに設計することを心がけている。
本当に必要な事はなにか。施主さん、敷地のにどう価値を提供するか。を考えているようにしている。
施主さんの要求に対して、その通りに答えることをしていたらそれは僕が設計する事の価値になるのだろうか。施主さんの意見の根本をたどり、設計者として解釈して答えを出していく。
これが僕が設計する必要性に繋がるんじゃないか。って考えている。(実際に施主さんに対して設計をさせてもらった経験は無いけれど、僕が建築家だったら。ってなりきってる。笑)その答えが施主の要望通りの可能性もあるし、実はもっとイイ提案の方法を見いだせるかもしれない。僕はそこに設計の楽しさと職能を見いだせるのではないかと感じている。

そして壁にあたった。
設計をしていく上で、「このデザインが好きだから」という意見をどう尊重していくか。「好き。」という感性をどのくらい尊重すればいいのかわからないなぁ。って思う。
正直まだ答えは出ていない。
「理性×感性」やっと最近その意味がわかってきたと思っていたけれど、まだまだ未熟者だなって感じる。壁にあたって設計を自己中心的に考え利他的に行動していくことの難しさを知った。

今、毎日設計に携われている喜びを感じているけれど、どう理性と感性のパワーバランスを考えてこうかなぁ。

2020/08/14:小山田駿志