宮瀬会長及び当会発足経緯

宮瀬会長及び当会発足経緯について説明します。

当会は1999年、現在東京都議会議員であり当会の現会長である宮瀬英治によって設立されました。

宮瀬は大学時代、国連タジキスタン監視団に参加中、現地で殉死した秋野豊氏に憧れていました。しかし宮瀬は秋野豊への想いを宮瀬の友人に話している際に、その友人から「憧れの人物が秋野豊なのは分かったが、それでお前は何をしたのか」と聞かれます。宮瀬は憧れを語るが実際には何も行動していないことに気付き、右目の角膜が破れるまで自分は何をするべきなのか、このままでいいのか自問自答を繰り返しました。そして自問自答の結果、悩んでいても仕方がない、困っている人の為に何か行動するべきであると思い立ちます。インターネットで行動先を探していたところ、カンボジアで当時孤児院への支援をしていた堀本崇氏を見つけ、休学し堀本のところへ訪ねました。宮瀬は堀本が支援していたノリアの職業訓練所の建設の手伝いをしながら、堀本と共に過ごす中で、堀本から支援に対する情熱やノリア孤児院の方々への思いに影響されていった。帰国後、堀本が支援していた劣悪な衛生環境で過ごすノリア孤児院の子どもたちが忘れられず、国際協力NGO風の会を設立し、ノリア孤児院への支援を開始しました。

(参考:山内麻美. "日本から来た学生ボランティア 志のリレー" 『バッタンバンのタッカシー―カンボジア支援に捧げた堀本崇の生涯』, 未知谷社, 2011年)

 

 

また当会は学生団体としては珍しく、設立経緯や当会の初期の支援活動が記された本が出版されています。その本とは当会の元会員である山内 麻美氏によって書かれた『バッタンバンのタッカシー―カンボジア支援に捧げた堀本崇の生涯』です。この本には、故堀本崇氏の幼少期から大学卒業までの生い立ち、PKOとしてカンボジアに選挙監視員として訪れた経験、ノリア孤児院の支援を開始し、交通事故で亡くなるまで詳細に書かれています。堀本氏は風の会の設立者の宮瀬英治がカンボジアで教育支援を行うきっかけであり当会の教育支援活動の原点であります。この本には、堀本氏のノリア孤児院への農業訓練支援内容や職業訓練支援などの支援活動、日本国内の中学校への啓蒙活動、アジア教育基本基金の設立と運営、運営現地関係者との交流、支援を続ける中での苦悩、堀本氏の支援への思い、これらが彼自身の哲学と共に書かれています。堀本氏自身の言葉であり、『真の独立・自立はカンボジア人の手によって成し遂げるしかない』(引用:山内, 麻美. "ノリア 運命の地." 『バッタンバンのタッカシー―カンボジア支援に捧げた堀本崇の生涯』, 2011年,  133頁)は現在でも当会が大切にしている自立支援の信条です。

風の会設立者である宮瀬英治が風の会を設立する経緯についても書かれています。

1999年4月、当時早稲田大学4年生であった宮瀬英治は内定を辞退し休学して堀本氏が支援していたノリア孤児院へ訪れました。そして帰国後ノリア孤児院の子どもたちの支援をしたいという気持ちが収まらず、当会を設立しました。

その後2002年当会は堀本氏から助言を頂きながらノリア孤児院で英語教室の運営を開始しました。そのときの宮瀬英治や会員の苦悩、活動内容に関しても書かれています。