こんにちは。
風の会で総合教育事業部マネジメントチームのリーダーを務めさせていただいております、高堀香菜です。将来の夢と公言できるほどの年齢ではないのですが(もうすぐ成人)、風の会に入会した経緯や今頑張っていることなどを紹介していきたいと思います。
非常に長い文章(2616文字)なので、お暇なときに気楽に読んでいただけると幸いです。
私は高校2年生の時、「国際連合の職員として世界平和を実現したい」と思い、自分の進路を決めました。(そもそもどうしてこんな夢を抱いたのか知りたい人は“いいね”押してくださいね!語ります!)当時、「言葉にすればなんだって叶う」という「ビリギャル」の教えにより、学年団の先生方をはじめ、友だちや先輩、後輩にも「国連職員になることが私の将来の夢」と言っていました。今考えると少し恥ずかしい。
母から「国際系に進むのに英語しか喋れないって使い物にならないよ。何か一つ専門分野を追求しないと武器にならない。」と結構厳しめなお言葉をいただき、文系ではなく理系の道に進み、中でも保健領域を極める決意をして今ここに至ります。
この夢を実現するためにボランティア活動をしたいなと思っていた矢先、他サークルの新歓コンパで「私、風の会っていう国際協力NGOサークルに所属してるんだよね。かなちゃん見学来てみない?」というお声がけを学部の先輩からいただきました。その翌日、見学に行ってみると、周りは皆早稲田生。慶應生2週間目に突入する私からしてみれば、圧倒される空間でした。しかし、見学初日から議論の場に参加させていただき、自分の思っていることをここで実現することができる!と思った私は即入会。特定非営利活動法人国際協力NGO風の会の一員として日々奮闘しております。
しかし、大学2年生になった今、新たに動き出そうともがいております。
そもそも、現在「将来の夢」と言えるほどのものがありません。高校2年生から大学1年生まで国連職員になるためにここまで頑張ってきましたが、NGOという組織に関われば関わるほど、「助けて」と叫んでいる人を見つけ、手を差し伸べることができるのはNPOやNGOなどの中小規模団体なのではないかと考え始めたからです。たしかに国連に入れば科学的根拠や数値化されたデータを基に政策を打ち出し、マジョリティの人々の助けになることができるかもしれません。だけど、それは「マジョリティ」であるだけで、取り残された人々、対象から外れる人々が必ず存在しており、マイノリティに属す人々を救うことができるとは限りません。また、国連の主な財源は加盟国による分担金です。現在アメリカがWHOへの資金拠出を停止するかもしれないなどの報道も出ていますよね。つまり、国連は加盟国のお金を使って人助けをしています。そのため、国連は10人、20人を救うためだけにお金を使うのではなく100万人、1000万人を救うために投資するんです。しかし、私は1人、2人しか救えなくてもいいから、誰一人取り残されずに公正な社会を実現したいと考えるようになりました。
大学2年目になり、私は視野を広げるために動き出しています。まず、私は政策とはどういうものなのか知りたい、研究とはどういう手順で行われるものなのか学びたいという考えから、医療政策を打ち出していく研究室に入り、現在副代表として活動しております。
他にも、学部のOBの方が経営している企業で学生アルバイト(やっていることはインターン)として雑務を行っています。そこではヘルスケアサービスの開発を行っており、私も会議に参加させていただき、今後の医療の発展に向けて大学生の立場で何ができるかを考える機会をいただいております。そもそも、「予防医療ってなんだろう?」「予防医療を強化すれば、痛い思いをする人も減るし医療費も膨張しないよね」という軽い考えから入社しましたが、今では革新的なサービスを開発したいという思いで臨んでいます。
また、他のNPO団体も知りたいという思いから、国内で「子どもの貧困」の支援をしているNPO法人のボランティアに参加しております。どれだけ学びたいという思いとその願いを実現できるだけの頭脳を持っていても環境によって才能が開花されない子どもがいます。私みたいに大きな(大きすぎる?)夢を抱き、自分の進みたい道を躊躇なく歩くことのできる子がいる一方で、自分のいる環境が理由で大学進学ができずに自分の夢を諦めてしまう子がいます。この現状を知ってから、私は子どもの無限の可能性を信じ、その可能性を引き出すことのできる存在でありたいと考えるようになりました。こんなことを言いながらも、私はとにかく一緒に遊んだり勉強を教えたりすることしかできず、小学生から常に何かを学んでいます。
こんな感じで忙しいながらも人と環境に恵まれた毎日を送っています。
どうして私はここまで全力で動くのか。ここで、私が大切にしている言葉をご紹介したいと思います!
松下幸之助さんの「一方はこれで十分だと考えるが、もう一方ではまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む」。
この言葉が常に私を後押ししてくれます。自分のモチベは自分で保とう!ってやつです笑
長くなりましたが、私は「自分、幸せだな~」と誰もがふと感じる社会を目指していきたいと思っています。これは心理的なものなので、測定方法が難しいですが…。私自身がちがちのタイプA人間なので、ストレスフルな生活を無意識に送っていることがあります。きっと今の日本ではこのようにストレス環境の中にいる人々が以前と比べて多いでしょう。「助けてと言いたいときに言える社会」「気軽にSOSを出すことのできる環境」を実現することができたら、素敵だと思いませんか??こころの健康に焦点を当てながら、今後「自分の幸せとは何か」を考えて自分の本能のままに突き進んでいく所存です。
そういえば先日、学部の友だちから「かなって綺麗ごとを良く言うよね」と言われました。たしかにそうかもしれません。ボランティア活動を行っていると、現状をいかに良くしていくことができるかという未来を考えがちですからね。未来は不確かであるからこそ、誰もが希望を抱くことができる。
今「綺麗ごと」と捉えられている事柄がいつか「当たり前だのクラッカー(古い)」と言われる日が来ますように。