カンボジアでの忘れられない経験

こんにちは。総合教育事業部マネジメントチームの高堀香菜です。
現在は「総合教育事業部マネジメントチーム」という体制になっていますが、以前は「孤児院プロジェクト」で活動していました。経緯、現状等詳細につきましては、以前会員が作成してくださった記事を読んでいただけると幸いです。
今回は、孤児院プロジェクトに所属していたときに訪れた、初めてのカンボジアでの忘れられない経験を共有したいなと思い、僭越ながら書かせていただきます。

当会は、実際に現地の先生を雇用して、バッタンバン州の孤児院の子どもたちにとって継続的な教育を目指して活動しています。
そのため、もちろん現地の先生方を含めた現地関係者の皆さんとお給料の話になります。しかし、年に2回しかカンボジアに渡航しない私たち日本人は、実際にカンボジアでお金を稼いだこともないし、相場も大体の額しか分からない。そのような中で、通訳さんを含めた、カンボジアで生計を立てていらっしゃる現地関係者の方々は「外国人」に自分の仕事のお給料を決められることに抵抗はありますよね。

私は当時大学1年生で風の会に入会して3か月強の、右も左も分からない孤児院プロジェクトのリーダーでした。しかし、熱意だけは負けない!という意気込みでカンボジアの地を踏み、現地関係者とのヒアリングに一生懸命でした。
その当時、ある先生のお給料が高すぎるのではないかという議論が国内活動の際に持ち上がり、WCで実際に通訳さんに相場を聞いてみようという話になっていました。

実際、私は通訳さんに何の悪びれもなく、
「この先生のここのお給料の部分を少し減らしたいと思っているんだけど、ここで働いている人はどれくらい平均でもらっているの?」
と伺いました。

すると、通訳さんは
「平均なんてない。苦しい人は1日3ドルでマーケットに行って、水洗いもされていない肉を買って食べるんだ。裕福な人はきれいな水を使い、その水で洗った果物を食べられるけど、そんな贅沢、皆ができるわけじゃない。まあ、日本人は私たちと違ってこんなホテルに泊まれるし、(カンボジア内では)高級なレストランに行っているから分からないだろうけどね。」
と私に伝えたんです。その口調は、怒りに交じってどこか悔しさを含んでいるように私は感じました。

そのとき、私は自分のことを、なんて無神経な人間なんだ、と本当に反省しました。
私に現地関係者の人生を変える権利は無いはずなのに、自分自身が「対等な関係である」ということを忘れていたからです。それだけでなく、忘れていたということを相手に嫌な思いをさせて初めて自分がその事実を知る、ということに恥ずかしささえ覚えました。

たった2週間しかいない外国人に私たちの生活の何が分かるんだ。
本当にそうだと思います。

国際協力とは、国を超えた「私」と「あなた」が互いに信頼し、尊敬することで初めて成り立つことです。
私たちの相手は国が違うからこそ、母国語が同じである人間に対する以上に、尊敬しなければいけないし実際に敬うことをしなければならないと私は思います。

私たちが偉いことを「している」んじゃない。
私たちはあくまで「させてもらっている」立場であることを忘れずに、今後活動していかなければいけないと思わせてくれた通訳さんに感謝の意を表します。

長い文章をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
駄文ですが、皆さまの心に響くような経験を伝えられていたら幸いです。