12月29日の感想

1229日の感想
若者ジャック
廣田みずほ(ひろた みずほ)さん
 岩手県から音楽で生計を立てる
べく東京に出で来られ、音大生の
進路を共に考えその人の適材適所
を活かした門出を応援する音大生
支援協会を発足し全国を周る中で
音楽は東京というこだわりが
いつしか無くなり地元学生は
地元で活躍するのも良いのでは
ないかと思われる様になった

 支援協会の仲間の中に佐賀の学生
さんがおられ、元産科医で赤ちゃん
の健康と少子化問題について
調べておられる過程で乳母神社
(めのとじんじゃ)の存在を研究
されている久保田史郎(くぼた 
しろう)先生と出逢う。
 驚いた事に廣田さんが以前、
久保田先生の講演会に参加されて
いたと言いますから人のご縁と
言うものは面白いものです。

 新春に佐賀でトロイメライを
ピアノで演奏されるとのことで
7人の子供のいたシューマンが
作曲した家族の絆の曲を廣田
さんが一年の様々なご縁と経験
をどのように込めて演奏される
のか。とても楽しみです。
素敵なお話しありがとう
ございました。

斎藤文恵(さいとう ふみえ)さん
 お節料理についてお話し頂き
ました。

 斎藤さんのお姑さんが神様が
立ち寄れる庵(いおり)[素朴な住まい]を全国に。
の志し立てて活動されて
おられ斎藤さんはその想いを継がれ
神様やご先祖に対する信仰が
世界的に広まれば安心した豊かさ
を取り戻せるとお考えです。 
 
お節料理は節会(せちえ)12ヶ月を
二で割った24節期のうち主要な
ものお正月や桃の節句、端午の節句
などの折に神様に五穀豊穣、不老長寿、子孫繁栄などの
感謝と願いを込めてお供え物をしたのが始まり
とされています。

 この風習を普及させるべく
一年の内一番大切とされるお正月
に家族でお節料理を食べる様に
なったとの事でした。

 またお正月の三ヶ日は家事を
休んでも良い様に日持ちの
するお料理が恵が重なる
願い込めて重箱に詰められた。
と言う様に日本の文化や風習は
神様への感謝と祈り後の子孫への
繁栄を願う意味が全てに置いて
込められている事に幸せ気分に
なりました。

鏡餅は三種の神器の鏡と心臓を表し
干し柿は太刀と長寿と幸せを寄せて
護るなどの意味を持っています。

日本は中庸(ちゅうよう)つまり
真ん中が一番良いとされ一時的な
偏りはありますが天と地の恵を
頂き軸を通して生きる事を本懐
(ほんかい)[本来の願い]としている
と思います。
 
トラウマになる程冷たい水仕事の
上に一宮庵の手作りお節料理の
おいしさと神様への感謝を
もとめて再開された風物詩が
末永く続き大和の想いが受け
継がれる事を願いました。

ありがとうございました。

今井裕之(いまい ひろゆき)さん
「本居宣長(もとおり のりなが)
と日本道との共通点」と題して
お話し頂きました。

 本居宣長(1730年〜1802年)
昼は医師、夜は国学者として活躍。
三重県松阪市(みえけんまつさかし)
出身。
 
1求める力
  15歳:中国4千年の歴史を
  10メートルの巻物にまとめる
  17歳:日本地図を伊能忠敬
  (いのう ただたか)[正確に測量
 して日本地図を作った偉人]の
 50年前に自身で興味のあるもの
 を調べて地図にしていた。

2出逢う力
 万葉集研究、国学の大家である
賀茂真淵(かもの まぶち)と
「松坂の一夜」で待望の出会いを
果たして難解とされる古事記を
一般の人でも理解出来る注釈
をつけて古事記伝として出版し、
「古事記を千年の眠りから
めざめさせた人物」と表される。
古事記伝以外にも50種、160冊の
書物を認(したた)めた。

3続ける力
 生まれた時からの思い起こして
 書き続け亡くなる寸前まで書いて
 いたとされる。
 
 和歌も一万首を創作というのは
 驚嘆の域であります。

本居宣長ノ宮(もとおり のりなが
のみや)
 本居宣長の一番弟子植松有信
(うえまつ ありのぶ)の父が浪人だった為に
名古屋で版木師していた
古事記伝から本居宣長に傾倒し
代々受け継がれ現在6代目の
植松有麻呂(うえまつ ありまろ)
さんが護っておられます。

 日本の信仰心の復活を古事記の
千年の眠りから目覚めさせた本居
宣長の宮から望みたいです。

 感謝とご縁と互尊の経営を
主義として365日気づきと学びと
感動を届け続ける日本道に
本居宣長さんもお喜びの事だと
だと思います

 日本独自の国学の大家の
探究心とご縁と継続はどの分野に
おいても柱となり志しを維持する 
支えとなりますし常に自分自身の
行動を省みる指針として大切に
したいものです。
ありがとうございました。






 



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