2月28日の感想

228日の感想。
若者ジャック
松藤陽香(まつふじ はるか) 
 音楽の歴史について。
 旧石器時代から狩猟の際の伝達
技術としてなんらかの音は使われ
ていたと思いました。

篳篥(しちりき)葦(あし)の振動を
共鳴させて音を出し、主旋律を
演奏する。

竜笛(りゅうてき)は竹に穴を
開けただけの横笛で伴奏を
担当。

笙(しょう)は天(神様)の声を表す
と聞いた事があります。

 雅楽(がかく)も日本独自のものと
思っていましたが中国から八世紀
に尺八と共に伝わったものだと
知り勉強になりました。

 日本に口伝(くでん)が多いのは
神聖なものとして師匠が人間性
を判断したものだけに伝えたい。 
と言う想いがあったからだと
思っています。

お琴も本来は筝(そう)という事
初めて知り嬉しかったです。

 お能や狂言の発祥。戦国時代での
衰退。江戸での阿国の歌舞伎
(おくにのかぶき)の発祥と
政治情勢が安定すること芸能が
発展するのがよくわかりました。

 江戸の鎖国政策の間に
ヨーロッパを中心にクラッシック
が作られた。

 明治になり海外の音楽が
日本に入り五線譜が伝わり
記録して伝える事が出来る
事が主流になって行った。

瀧蓮太郎(たきれんたろう)と
山田耕作(やまだこうさく)は
音楽の教科書で触れた覚えが 
あります。

 戦後、文化保護法が制定
1960年代になり演歌が誕生
海外のジャズやロック、
ポピュラーミュージックが
融合し歌謡曲が花開いた。

古典音楽は伝統芸能として
大切にしようという動きが
あります。
狂言師 野村萬斎(のむらまんさい)。
雅楽師 東儀秀樹(とうぎ ひでき)。
神楽師 石山裕雅(いしやま
ひろまさ)
日本の古典音楽
先人の方達の想いを覗いてみて
下さい。

 録音と再生技術にもエジソンが
関わっていたなんて流石は
発明王。録音再生機を作った
時にはどんな失敗があり、
そこからまた新しい成功の
元が生まれてきたのでしょうね。

日本初のオッペケペー節
貴重な音源と素敵なお話し
ありがとうございました。

天明(てんみょう)先生の詔
(みことのり)
 梅毒(ばいどく)が2019年から
増加傾向にある。との事でした。
外国人の往来やコロナに風俗界の
不況により無節操な性行為が
横行したからではないか。
と見られる。条例を出すなど
して対応するべき。とのご意見
でした。

コロナ禍でストレスの溜まる中、
健全で社会が元気になるストレス
解消法を他に模索する必要を
感じました。

ありがとうございました。

川渕幸江(かわぶち ゆきえ)さん
錦水流水引(きんすいりゅう
みずひき)は91年の歴史を
もち始めは口伝(くでん)であった
が2代目から絵図面に起こす
様になった。との事でした。
 
 水引の起源は航海の無事を
祈るものとして中国で始まり
遣隋使の裴世清(はいせいせい)
などにより逸話が伝えられ
その話に感じ入り邪気を
祓い幸福を繋ぐ結界の
意味を込めて広まって
行った。
 
素材も麻から綿そして和紙と
変わり、和紙を指先でねじって
紙縒り(こより)(細い紐(ひも))を
作りそこにもろなわむすびや
縁結びなど結びを施して
水糊(みずのり)を引く(糊をつけて
形を整える)事から水引と言われる
様になった。

紙縒り(こより)は元結(もとゆい)
と言い髪を元から結える(ゆわえる)
もの。長野県でもつといと言う
そうです。

 結び方は花結び、結び切り、
鮑結び(あわじむすび)などが
あります。

 婚礼に用いる結び切り以外に
簡単に解ける結びは何度あっても
よいお祝いや記念行事や挨拶、
進物(しんもつ)(贈り物)に用い
られます。

白黒は御香典や御仏前
銀色は五万円以上の御香典や御仏前
白黄色は関西地方の御仏前

のしは元々のし鮑(のしあわび)
で200年の歴史があり無病息災
(むびょうそくさい)と長寿の
縁起物として神前に祀られた
ものが贈り物する相手敵意が
なく友好の意を込めて送られる
との事でした。

冠婚葬祭の簡略化により
日本行事が行われなくなり
本来の意味を伝えられなく 
なった事。

 日本の文化の豊かさや粋な
計らいを知ることで幸福の
ご縁を結ぶ事が出来るので
はないでしょうか?
ありがとうございました。

池田大佑(いけだ だいゆう)さん
 副島種臣(そえじま たねおみ)
1828年〜1905年享年77
についてお話し頂きました。
水戸(みと:現茨城)の藤田東湖
(ふじた とうこ)、佐賀の
枝末神陽(えだまつ しんよう)
と称された枝末の弟で33歳で
副島家に養子となる。

1872(明治5)年に横浜に停泊中の
マリア・ルイス号にて奴隷的扱い
を受けていた清国人213人を
治外法権[被害を受けた国民の法律ではなく、特定の身分の者が事件の起きた場所の法律を適用する権利]の
中でも正当に裁き助けた。

間違いを卑屈にならず主張し、
それさえ通せば後は柔軟な
姿勢を示すところから外国判事
より信頼のおける人物と
一目置かれる。

1874(明治7)年民選議員設立の
建白書を板垣退助(いたがき
たいすけ)らと明治政府に提出し 
日本初の国会設立の提案を
行った。これにより自由民権
運動が始まった。とされる。

明治天皇の信頼厚く侍講(じこう)
となり天皇に講義をした。

信念と柔軟性を併せ持つ賢人を
教えて頂きありがとう
ございました。

こう言った信念と柔軟性を
体得するにはどうすれば
よいのか。日本の現状
世界の情勢をみると考え
てしまいます。


















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