3月2日の感想

32日の感想。
 若者ジャック
玉井智洋(たまい ともひろ)さん
 シェアハウス運営をされていて
住まわらている方達がコロナに
感染してしまった。

 理論的にではなく感情的に
ご利用されている方達やスタッフ
の皆さんを安心させられるか。
最優先に協議して現実的で
具体的な対策をされるところ
に感銘を受けました。

 シェアハウスを賃貸業を営む
中で家賃を回収する事がやはり
一番のご苦労の様で、心ない
海外の方の中にはお金があるにも
関わらず払いたくないわがまま
で日本語が分からない。と
言う人もいる様です。

 そんな時も玉井さんは冷静に
嫌なら帰国すれば良い事。
他の方の居心地を考えて
毅然(きぜん)とした
態度で接する。

 互い尊敬する事と甘やかす事の
違いをご自身の中で軸を持って
おられる事で日本の礼節と誠実さ
が伝わる素晴らしい事だ。
と思いました。

いい会社に入るの事で将来の
安心を得れていた時代と違い
選択肢の多さや自由度の高い
昨今において人の軸となる
倫理と社会貢献を天明先生
のお言葉をご紹介頂いて
教えてくださいました。

倫理とは?
「やってはダメと法で決められて
いないけど良くないことは
やらないこと」

社会貢献とは?
 社会貢献とは「やるべしと法で
決められていないけどやった
ほうがいいことはやること」
この事を踏まえて毎日丁寧に
生きる。その事で自分の役割に
気付きやすくなる。と、
 吉田松陰(よしだしょういん)
は伝えておられます。

日々を良くするのは自分しか
いない。世の中を良くするのも
悪くするのも人々の心掛けから
玉井さんのように論理的かつ
具体的に。そして現実的に
実践できるよう精進できれば
と思いました。
ありがとうございました。

明楽 みゆき(あけら みゆき)さん
「究極の三方よし経営。
〜買いつみ船北前船」と題して
お話し頂きました。

近江商人(おうみしょうにん)
 現在の滋賀県(しがけん)を
中心とした商いを生業(なりわい)
[生計をたてること。]としていた
人達の事をさします。

 その商人の一人である松田
利兵衛(まつだりへえ)が
「夕べに星を頂き、朝に星を
頂く」事を日々として、
売り手よし。買い手よし。世間よし。
の近江商人の受け継がれた志を
持って働き全国から宝船、総合
物流の要としての北前船を創業
した。

 生活物資は勿論、能楽や雛人形など
日本のあらゆる生活水準、精神性
の向上そして日本の国の成熟度を
飛躍的成長させた歴史的事業の
軌跡です。

 北前船の商法はのこぎり商法
とも言われ、売り買いをしながら
全国津々浦々の200もの寄港地を
回る。

 頼まれた物を運ぶだけの物では
ないところが大きな特徴だと
思いました。

 売り手よし。買い手よし。
世間よし。の三方よしの精神を
より具体的に記した。
近江商人商売の十訓
二代目仲村治兵衛(なかむら 
じへい)作。

商売に役立つ事は勿論、人造り、
国造りにも繋がると思いました。

家訓は大切な跡継ぎにのみ伝えて
来た事により近江のあたりは
大いに栄えた。

また飛ぶ鳥跡を濁さず。

 天秤棒から船を買い塩飽水軍
(しわくすいぐん)瀬戸内海の
干満の激しい海域で培われた
高い航海技術を取り入れて
全国を周り、時代の潮目見て
船を売り、京で呉服屋を
営む。何という美しい引際
だろう。 

こう言う美しい心を未来の
子供たち、若者達に希望と
志のきっかけになる活気
と浪漫のある北前船を
知って頂きたいと思い
ました。

 3月12日北前船サミットでは
北前船の様々な積荷の魅力や
物流の仕組みなどをより深く
お話し頂ける専門家の皆さん
が集われますので、楽しい
会になる事でしょう。

ありがとうございました。

米内光政(よない みつまさ)
1880年3月2日〜1948年4月20日
享年68。

 物事を詳細に記録し、分析力
に定評があり日独伊三国同盟に
反対し、イギリス、アメリカと
開戦を回避する事を主張した。 

山本五十六(やまもと いそろく)
1884年4月4日〜1943年4月18日
享年59
 日露戦争で負傷し戦争の実態を
知り以来非戦論を唱える。
真珠湾攻撃においても早々に
戦争を終わらせる事を主張
しながら止むを得ず指揮を
とった。南方の前線視察の際に
戦死。 

人望厚く
「やってみせ、言って聞かせて、
させてみせ、ほめてやらねば、
人は動かじ。」の名言がある。

井上成美(いのうえ しげみ)
1889年12月9日〜12月15日
享年86。
 海軍一の知性派といわれ
人財育成に力を注ぎ敵性語の
英語禁止気運に反して英語
教育を行い、海軍大将の
写真を外させ、日米開戦に
突入させた国賊とも言える
出世主義の者達を尊敬せよ
とはとても言えない。との
言葉を残しておられます。

戦後は戦後処理に責任を感じ
隠遁生活(いんとんせいかつ)
[世間との交わりを避けて暮らす事。]
をおくり私塾を細々とされて
いたとの事でした。

高木惣吉(たかぎ そうきち)
1893年8月9日〜1979年7月27日
享年85。
米内光政や井上成美の元で働き
大和魂による竹槍や国民を巻き込む
政策の東條英機(とうじょう ひでき)
に対して「竹槍では勝てない」
新聞で主張し、重臣の説得等にあたり
終戦工作に尽力された。

山近代表のお話しを伺い簡単に
ネットからまとめてみました。

作戦。戦略乏しくそして亡国へと
向かう無謀な戦争を回避し、
開戦後は早期収束を願い尽力
した優秀な四人の方達にも
関わらず現在の結果となって
いる事を私達一人一人が
国民主権という現状において
どう捉えるのかが大切だと
思いました。

塩坂さんが教えて頂きました
米内光政の言葉。「人間と言う
ものは、如何なる場合でも自分の
巡り合った境遇を最も意義
あらしめる事が大切だ」

内閣総理大臣としての言葉。
「国を預かる者=内閣総理大臣として、
目先の利にたくらんだ世論に惑わず、
国を誤らなかった事だ」

我が家の家訓となっている光政の
言葉。
「努力」「忍耐」「責任」

至誠を貫き通した人でした。

勝ち組、負け組ではなく慈しみ
の組み合わせでもって日常を
穏やかに明るく日本の道が
できていけるように
先人達のお言葉を噛み締め
たいものですね。

ありがとうございました。

365日の日本道
柴田光起(しばた こうき)さん
天明(てんみょう)先生の
家系図分析からご先祖様からの
ご縁の大切さに気付き
戸籍制度を時代に合わせた
更新について思うところを
お書き頂きました。

ありがとうございました。
































早朝オンラインゼミの感想
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