5月15日の感想

515日の感想
若者ジャック
高山 遊喜(たかやま ゆうき)さん
 レンズを通して言葉にならない
想いを写真や映像に納める事を
通して本来の大和魂をご子息や
娘さん達に伝えていきたい。と
の想いが強くなられたのはLGBTQ
性的嗜好と性的自認の差異から
生じる区別を平等にという考えから
ご子息の名前も「〜さん」と呼ぶ
事と学校で決められた出来事が
あってから。

 ある学校のサッカーのコーチに
キーパー未経験者の生徒に対して
指導とは取れない罵声を続け
ビデオに残っているにも関わらず
改めようともしない現実に
心を痛めておられました。

 子供は大人を見て育つ。どんな
言葉をかけられるかで将来に
影響が出てくる。

 戦前は大和魂が教育されていた為
職人修業の厳しい日々にも耐えられた
のかもしれないですが、今は学校が
生徒をちゃんと叱れず、感情ままに
暴言を吐いたり、或いは必要以上に
過保護にしてしまう事例が多いよう
です。
 
 日本の象徴とされる天皇や国歌を
歌う事も場合によってはままならない
と伺い大変驚きました。

 大東亜戦争の目的はアジアの植民地解放が目的。
開戦前の欧米との軍事力格差で開戦を反対していた
天皇の意向に反して開戦し、しだいに政府内の
意見の相違や現場との意思の疎通が
取れず、精神論で早計したずさんな
作戦や民族が滅んでも戦うと言った
意見があり決断が遅れ多くの犠牲を
出す結果になってしまった事は
残念でならないですが。

 いつの時代もどんな状況でも
一般の中に少数派がいてその
どちらか一方が過剰に優遇されたり
冷遇される事は違和感を感じますね。

人も動物ですから本能的に異質に
感じてしまったものは敬遠や
排除したくなる気持ちは出てしまう
のかもしれませんが、相手を傷つけ
たり、生活しづらい状況を作り上げ
てしまう事は避けたいですね。

 差別を訴え優遇される人達も
いる中で私達がどれだけの大和心
を大切な未来ある子供たちや
若者達に伝えて行けるかが
そこに気づいた人達の役目である
と思いました。
ありがとうございました。

佐倉亜希子さん
 1972年5月15日沖縄本土復帰。
日本道で学ばなければここまで
深くは知る事はなかったでしょうね。
 平和の礎(へいわのいしじ)国籍、
軍人、民間人問わず沖縄で亡くなられた名を刻み
慰霊し続けている石碑。ここにも和の心を感じますね。

1971年11月に132ページ、5万五千文字に及ぶ
屋良朝苗(やらちょうびょう)氏の沖縄の切なる訴えが
「復帰措置に関する建議書」綴られています。

教職から国会出て1953年2月19日
に沖縄本土復帰を訴えた

1969年当時の総理大臣佐藤栄作
(さとう えいさく)と米国大統領
ニクソン大統領が米軍基地駐留を
条件に沖縄の返還に合意。

 屋良朝苗や瀬長亀次郎(せなが 
かめじろう)国民の思っていた米軍
基地のない本土復帰とは残念ながら
至らなかった。

施政権(しせいけん):統治下において
国民の立法、司法、行政の行使する
権限の事でその復帰を認めると
言う内容に留まっていた。
  
また日米地位協定があり米軍が
犯罪を犯しても日本の法律で
裁く事ができないのです。

嬉野京子(うれしの きょうこ)さんの
撮られた沖縄100万の叫びの中の
痛ましい事故の写真は当時の沖縄を
克明に物語っていました。

佐藤栄作総理が1969年核持込みの
密約がある中で1974年「核を持たず。作らず。
持ち込ませず。」の非核三原則でノーベル平和賞を
受賞に疑問に思う人が多かった
との事。

またB52が100機配備された事で
「悪魔の島」と揶揄(やゆ)[からかう事]される中で
島民は抗議して捕らえられた事件もあったとの事。
 
 様々な思惑がある中で日々を
必死に生きて来ていて今に至って
いる事を痛感しました。
ありがとうございました。

赤嶺 剛(あかみね ごう)さん
沖縄本土復帰五十周年を迎えて
と題してお話し頂きました。

沖縄では5月14日の本土復帰の前夜
から式典が催され伝統的舞踊の
エイサーや気持ちが高揚した時
自然と指笛と踊りになる
カチャーシーなどで盛り上がった
様子ありました。
 
琉球王国23代当主尚 衛(しょう 
まもる)さんがおられた事に大変
嬉しく思いました。琉球王国は滅亡
してしまったと聞いていましたから。
おおらかだけど真の強い琉球、沖縄の
県民性を感じました。

米国軍人の度重なる横暴に対して
民衆の怒りが爆発した1970年12月
20日のゴザ騒動などをへた上での
 50年前の1972年5月14日には
期待と不安が渦巻いていた事が
想像できますね。
 
 その当日の県知事であられます
屋良朝苗氏の言葉通り物価上昇や
米軍基地が存続する中での本土
復帰には複雑な思いが沖縄の方達に
広がっておられた事と思います。

 本土復帰を祝う式典の隣で
打倒佐藤内閣の集会が開かれて
いた事を伺いとても生々しく
現実的なお話しだと感じました。

その後も墜落事故や騒音問題など
現在も問題は山積していますし、
沖縄県民の中でも米軍基地に対して
撤退を過激に訴えておられる方も
いるようです。

そんな様々な想いのある中で
2002年NHK紅白歌合戦で
「島んちゅの宝」を披露する
BEGINが「本土復帰30年が経ち
夢を叶えられる時代になりました。
おじー、おばーありがとう。」
と伝え、また沖縄の未来を担う
一人我那覇(がなは)さんが、
​沖縄の国防の為の十分な力を
自国で担える未来になえる事が
希望だと仰りと、過激な報道機関を疑問に
感じると言われたことに感激
しました。

沖縄の今を通して生命の薬である
ぬちぐすいの心に敬意を持って
世界の平和と豊かな日本在り方
を考えていきたいですね。
ありがとうございました。









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