5月25日の感想

5月25日の感想
 若者ジャック
上中豪(うえなか ごう)さん
グローイングパートナーと言う 
24人全てが海外の方でベトナムを
始めアジアの方達を中心に人財育成
や就労支援をされています。

座右の銘は後藤新平(ごとうしんぺい)
の「金を残す者は下。仕事を残す者は中。人を残す者は上。」この先がとても大切でお金がないと何も形に出来ないし何も続かないという事。を後藤新平さんは説いておられます。

 上中さんが製薬会社の研究者と
して2つの農薬関係で特許をとって
もお金にならなかった事。
 会社を動かしているのは文系の 
気付きから営業、投資などを経験
され短期的に多額の収入を得るも
「悪銭身につかず」の諺(ことわざ)にあるように使ってしまった。

そこから人の器の分がお金になると
思い直し海外の方と働く今の事業に
取り組まれた。日本を話せる海外
の方は日本の経済発展に憧れて
言葉を身につけておられます。

人口も経済発展もめざましいベトナム
と個性を尊重する余り、子供作る事はおろか人と関わる事さえも敬遠する
人達が増えていると感じてしまう
日本をどうしていくのか。
これからの私達の課題ですね。

 上中さんは自分のやりたい事
を貫き収入をしっかり得ている
書家の早矢加(さやか)さんに
注目され「生きている事は何かを
生み出す事」として書家の道を
選ばれた早矢加さん、そして
デジタル化の著作権とも言うべき
NFT(非代替性トークン[印を意味
する])を活用している事に感銘を
受けておられた事にとても共感を
覚えました。
経済とは時を経る事への不安や
変化を救済するもの。そして
それを扱える心を養う事が人の道
ではないのかと感じさせて頂き
ました。

 上中さんが日本道とのご縁を事業
承継して更なる可能性を広げ、語学においても英語、中国語、日本語を自在に操り穏やかな物腰と地球人という
視点からニコニコマークを増やし
続ける亀田さんから伺いとても微笑
ましく感じました。

これからの日本を豊かにする為に
どんな想いで自分を活かし、どんな
言葉を駆使して自分は勿論、世の中を
幸せにするのか。を考えさせて頂き
ました。

ありがとうございました。

 石田 学(いしだ まなぶ)さん
 28回目の偉人のご講義。吉田松陰
(よしだ しょういん)先生。
 松陰先生が歴史の教科書から
消える!日本はある権力が国民を
未来の労働力として扱い易い
人材を育てたいだけなのだ。
と感じます。

 吉田松陰は条約などの作成や締結
には関与こそしていないが身分や
家柄により希望を失っていた若者
に生き甲斐と自分達が世の中を
作っていくと言う自覚を芽生え
させたという功績は勝るとも劣
らないものだと思います。

山鹿素行(やまが そこう)の代々山鹿
流兵学を藩主に教える家として叔父の
玉木文之進(たまき ぶんのしん)に
学問は世の為、人の為として顔に
留まるハエを払う事を私事して
ぶん殴られるお話し。これを聞いて
驚きはすれど素晴らしい言う空気になる人が殆どではないかと思いますが、
現在なら間違いなく虐待の部類
に入ると思います。

 それ程現代の私達の子育てや教育を
始め全ての事が表面的な判断をして
いるのでは。と感じるのです。

9才で当時全国に300あると言われた
私塾のうち最高峰と言われる明倫館
(めいりんかん)で教鞭を取り、11才で
長州藩藩主毛利敬親(もうりたかちか)
を感服させる教えとは。どんな内容で
どんな語りであったのか。
是非とも聞いてみたかったですし、
山鹿流兵学にも俄然興味が湧き
ました。

  1840年アヘン戦争で中国の
清国がイギリスに敗れ西洋列強の
脅威晒される事を感じた松陰先生は
 19才で毛利敬親の申し出て5年間で
13000キロを歩き交易の乏しさを
痛感する。

 旅の折に知行合一(ちこうごういつ)
の陽明学(ようめいがく)の大家、佐久間象山に出逢い、「アメリカを見に行くように勧められる」
 1854年日米和親条約が結ばれる
年、弟子の金子重之輔(かねこ しげのすけ)と共に盗み防止の為に
櫓の杭を外してある船にふんどしや
帯をくくりつけミシツシピー号には
乗れず、ボーハタン号に乗り込み
通訳のウィリアムにアメリカに連れて
行ってほしい事。拒否されれば
捕まり死罪となる事を身振り手振りで
伝えるも聞き入れられず、岸まで
送り届けられ日誌などを乗せていた船が流された為、潔く自首する事
で投獄される。
 ペリーが感服し命を救って
欲しいと言わせる探究心と礼節と
勤勉さを日本の世界に誇れる長所と
して精進したいものです。
 減刑を申し出たペリーに対し、
金子重之輔を見殺しする
幕府の仕組みに拙さと愚かさと
野蛮さを感じます。

 勿論、侵略しようとする欧米列強を
擁護する気には到底なれませんが
日本の仕組みにも先人を美化する
事なく人を活かすと言う意味においては昔も今も猛省すべき点が多々あると 
思います。

 牢獄の中でも世の為人の為に学び
1500冊の本を読み、牢獄で自暴自棄に
なっている人に生命の灯火を与え
続けた。地位や名誉やましてやお金のためでもなく豊かな人生、豊かな国の為に働ける力が万人に備わっている事を切々と説いたのです。

1856年7月から1858年12月まで
開かれた松下村塾は元々玉木文之進
が開いた。2年6ヶ月の間に、八月十八日の政変-久坂玄瑞(くさか げんずい)、
奇兵隊-高杉晋作(たかすぎ しんさく)、陸軍大将-山縣有朋(やまがた ありとも)、初代総理大臣-伊藤博文(いとう 
ひろふみ)などの長所を伸ばし、志しの
見つけ方、人としてのあるべき姿。
宇宙の存在。森羅万象にまで共に
研鑽した。

1858年余りに不平等な日米修好通商
条約を朝廷(天皇)の許可なく結んだ
大老の井伊直弼(いい なおすけ)
を筆頭して幕府への不満が高まり
討幕の気運が大きくなって行った

 その流れ武力で抑える安政の大獄が
断行され、弾圧の実行者である間部詮勝(まなべ あきかつ)と戦う為に兵を借りたいと申し出る松陰先生に
たいして流石に承諾できず江戸に移送
され投獄される。

取り調べに対し欧米列強の脅威と共に
欧米進んだ文明について思うところを
語り有能な人物への弾圧の愚かさの為
間部詮勝を暗殺しようとしていた事まで話した事により、斬首の沙汰が下って
しまう。

 斬首当日、介錯人(かいしゃくにん)
山田朝右衛門(やまだ あさうえもん)
に言い残す事はないか。と問われ、
思い残す事はないが、今ここに
至った充実感を味わせて欲しいと
おっしゃって。
「身はたとひ 武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂」
の辞世の句を残された。

大和魂とは大いに和む慈しみを
持った魂であり、破壊行為や排他的
行為、優越感、権力を望むものでは
ないと思っています。

吉田松陰先生の思いを部分的にしか
捉えられない事への危険性を
久坂玄瑞や高杉晋作に学ばなければ
情熱と行動力のかっこよさに
目を奪われて大義のためには
多少の犠牲は仕方がない。
或いは自分の命は大義の為なら
構わないと言うような浅はかな
想いが若者に伝わらないように
自分の命が無くなれば、仲間や
家族の心の支えがなくなる事を
肝に銘じて頂きたいと思います。
ありがとうございました。

5月25日の感想
 若者ジャック
上中豪(うえなか ごう)さん
グローイングパートナーと言う 
24人全てが海外の方でベトナムを
始めアジアの方達を中心に人財育成
や就労支援をされています。

座右の銘は後藤新平(ごとうしんぺい)
の「金を残す者は下。仕事を残す者は中。人を残す者は上。」この先がとても大切でお金がないと何も形に出来ないし何も続かないという事。を後藤新平さんは説いておられます。

 上中さんが製薬会社の研究者と
して2つの農薬関係で特許をとって
もお金にならなかった事。
 会社を動かしているのは文系の 
気付きから営業、投資などを経験
され短期的に多額の収入を得るも
「悪銭身につかず」の諺(ことわざ)にあるように使ってしまった。

そこから人の器の分がお金になると
思い直し海外の方と働く今の事業に
取り組まれた。日本を話せる海外
の方は日本の経済発展に憧れて
言葉を身につけておられます。

人口も経済発展もめざましいベトナム
と個性を尊重する余り、子供作る事はおろか人と関わる事さえも敬遠する
人達が増えていると感じてしまう
日本をどうしていくのか。
これからの私達の課題ですね。

 上中さんは自分のやりたい事
を貫き収入をしっかり得ている
書家の早矢加(さやか)さんに
注目され「生きている事は何かを
生み出す事」として書家の道を
選ばれた早矢加さん、そして
デジタル化の著作権とも言うべき
NFT(非代替性トークン[印を意味
する])を活用している事に感銘を
受けておられた事にとても共感を
覚えました。
経済とは時を経る事への不安や
変化を救済するもの。そして
それを扱える心を養う事が人の道
ではないのかと感じさせて頂き
ました。

 上中さんが日本道とのご縁を事業
承継して更なる可能性を広げ、語学においても英語、中国語、日本語を自在に操り穏やかな物腰と地球人という
視点からニコニコマークを増やし
続ける亀田さんから伺いとても微笑
ましく感じました。

これからの日本を豊かにする為に
どんな想いで自分を活かし、どんな
言葉を駆使して自分は勿論、世の中を
幸せにするのか。を考えさせて頂き
ました。

ありがとうございました。

 石田 学(いしだ まなぶ)さん
 28回目の偉人のご講義。吉田松陰
(よしだ しょういん)先生。
 松陰先生が歴史の教科書から
消える!日本はある権力が国民を
未来の労働力として扱い易い
人材を育てたいだけなのだ。
と感じます。

 吉田松陰は条約などの作成や締結
には関与こそしていないが身分や
家柄により希望を失っていた若者
に生き甲斐と自分達が世の中を
作っていくと言う自覚を芽生え
させたという功績は勝るとも劣
らないものだと思います。

山鹿素行(やまが そこう)の代々山鹿
流兵学を藩主に教える家として叔父の
玉木文之進(たまき ぶんのしん)に
学問は世の為、人の為として顔に
留まるハエを払う事を私事して
ぶん殴られるお話し。これを聞いて
驚きはすれど素晴らしい言う空気になる人が殆どではないかと思いますが、
現在なら間違いなく虐待の部類
に入ると思います。

 それ程現代の私達の子育てや教育を
始め全ての事が表面的な判断をして
いるのでは。と感じるのです。

9才で当時全国に300あると言われた
私塾のうち最高峰と言われる明倫館
(めいりんかん)で教鞭を取り、11才で
長州藩藩主毛利敬親(もうりたかちか)
を感服させる教えとは。どんな内容で
どんな語りであったのか。
是非とも聞いてみたかったですし、
山鹿流兵学にも俄然興味が湧き
ました。

  1840年アヘン戦争で中国の
清国がイギリスに敗れ西洋列強の
脅威晒される事を感じた松陰先生は
 19才で毛利敬親の申し出て5年間で
13000キロを歩き交易の乏しさを
痛感する。

 旅の折に知行合一(ちこうごういつ)
の陽明学(ようめいがく)の大家、佐久間象山に出逢い、「アメリカを見に行くように勧められる」
 1854年日米和親条約が結ばれる
年、弟子の金子重之輔(かねこ しげのすけ)と共に盗み防止の為に
櫓の杭を外してある船にふんどしや
帯をくくりつけミシツシピー号には
乗れず、ボーハタン号に乗り込み
通訳のウィリアムにアメリカに連れて
行ってほしい事。拒否されれば
捕まり死罪となる事を身振り手振りで
伝えるも聞き入れられず、岸まで
送り届けられ日誌などを乗せていた船が流された為、潔く自首する事
で投獄される。
 ペリーが感服し命を救って
欲しいと言わせる探究心と礼節と
勤勉さを日本の世界に誇れる長所と
して精進したいものです。
 減刑を申し出たペリーに対し、
金子重之輔を見殺しする
幕府の仕組みに拙さと愚かさと
野蛮さを感じます。

 勿論、侵略しようとする欧米列強を
擁護する気には到底なれませんが
日本の仕組みにも先人を美化する
事なく人を活かすと言う意味においては昔も今も猛省すべき点が多々あると 
思います。

 牢獄の中でも世の為人の為に学び
1500冊の本を読み、牢獄で自暴自棄に
なっている人に生命の灯火を与え
続けた。地位や名誉やましてやお金のためでもなく豊かな人生、豊かな国の為に働ける力が万人に備わっている事を切々と説いたのです。

1856年7月から1858年12月まで
開かれた松下村塾は元々玉木文之進
が開いた。2年6ヶ月の間に、八月十八日の政変-久坂玄瑞(くさか げんずい)、
奇兵隊-高杉晋作(たかすぎ しんさく)、陸軍大将-山縣有朋(やまがた ありとも)、初代総理大臣-伊藤博文(いとう 
ひろふみ)などの長所を伸ばし、志しの
見つけ方、人としてのあるべき姿。
宇宙の存在。森羅万象にまで共に
研鑽した。

1858年余りに不平等な日米修好通商
条約を朝廷(天皇)の許可なく結んだ
大老の井伊直弼(いい なおすけ)
を筆頭して幕府への不満が高まり
討幕の気運が大きくなって行った

 その流れ武力で抑える安政の大獄が
断行され、弾圧の実行者である間部詮勝(まなべ 
あきかつ)と戦う為に兵を借りたいと申し出る
松陰先生にたいして流石に承諾できず江戸に
移送され投獄される。

取り調べに対し欧米列強の脅威と共に
欧米進んだ文明について思うところを
語り有能な人物への弾圧の愚かさの為
間部詮勝を暗殺しようとしていた事まで話した事
により、斬首の沙汰が下ってしまう。

 斬首当日、介錯人(かいしゃくにん)
山田朝右衛門(やまだ あさうえもん)
に言い残す事はないか。と問われ、
思い残す事はないが、今ここに
至った充実感を味わせて欲しいと
おっしゃって。
「身はたとひ 武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂」
の辞世の句を残された。

大和魂とは大いに和む慈しみを
持った魂であり、破壊行為や排他的
行為、優越感、権力を望むものでは
ないと思っています。

吉田松陰先生の思いを部分的にしか
捉えられない事への危険性を
久坂玄瑞や高杉晋作に学ばなければ
情熱と行動力のかっこよさに
目を奪われて大義のためには
多少の犠牲は仕方がない。
或いは自分の命は大義の為なら
構わないと言うような浅はかな
想いが若者に伝わらないように
自分の命が無くなれば、仲間や
家族の心の支えがなくなる事を
肝に銘じて頂きたいと思います。
ありがとうございました。


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