6月25日の感想

6月25日の感想
若者ジャック
上中 豪(うえなか ごう)さん
 沖縄県の宮古島の砂山(おきなわけ
ん みやこじま すなやま)にご家族と
大人の粋な交流を兼ねてゲストハウス
に滞在されています。
 グローイングパートナーズという
社員が全て海外の方で多国籍の
雇用についてご尽力されています。

心に残ったご講義3本をお話し
頂きました。

一つ目は籠池ご夫妻の森友学園問題の
実情。
 国家の闇に巻き込まれた中でも
家族が手を取りあい明るさと絆と
希望と信念を持って私達を守って
くれるはずの国の保身に誠を貫く
姿勢に感銘を受けておられました。

ご自身も若気の至りで会社を失い
再起のきっかけとなったのが
お母様の息子を信じ励まし続けた
姿勢だったと回想されていました
やり直しはいつからでもできます
が誠意を持って物事に当たる覚悟
と直向きな継続の賜物である事を
心に刻んでおきたいと思いました。

二つ目のお話しは株式会社京都紋付
の荒川さんのお話し着物離れの時流
をただ嘆くのではなく、試行錯誤を
して伝統を守りつつ新しい需要と
市場を開拓する姿勢に感動しました。
常に意識され現代と後の世に対する
役割を果たされているからお客様の
心を捉える商いが出来ておられると
感じました。

3つ目はマルソー運輸の渡辺会長
 父の失踪により学業を諦めご家族の
為に奔走しその時々の世の中に心を寄せる物流業を父を

許し全てに感謝と
誠意に満ちた対応で会社を立て直されました。
守るべきものと変えるべきものの
共存の源になるもは世の中への役割
を頂いた御礼とおもてなしの心なのではないか。

と宮古島の朝焼け共に
白々としていく気がしました。 
有難うございました。

石田 学(いしだ まなぶ)さん
吉田松陰(よしだ しょういん)先生
「留魂録」(りゅうこんろく)
1859年10月26日伝馬町(でんま
ちょう)にて一期一会(いちごいちえ)の介錯人

山田浅右衛門(やまだ あさ うえもん)にも記録に
残るほどの感銘を与えた松陰先生が、
処刑前の1日半に綴られた500文字が留魂録です。
 

 ペリー来航の際に海外密航未遂
の罪で蟄居(ちっきょ)[幽閉(ゆう
へい)]となるが評定所(ひょうじょう
しょ)[現在の最高裁判所]の場において国を思うものに

身分の差はないと主張し、日の本を思っての行動
であるし私の命など国の行く末に
比べれば大したことはない!と
説いて帰郷を許される

しかし井伊直弼(いい なおすけ)の
孝明(こうめい)天皇の許しを得ずに
止むを得ず日米修好通商条約を
結んだ。
そして天皇敬い異国を打ち払う
尊王攘夷(そんのうじょうい)思想の
志士たちを武力弾圧を断行。
世に言う安政の大獄です。

 松陰先生は幕府の姿勢に落胆し
弟子達や藩主毛利敬親(もうり たかちか)に安政の大獄

実行の間部詮勝
(まなべ あきかつ)を捕らえる
計画も評定所への訴えも協力
してもらえず嘆きと憤りを抱えた
まま。東京の伝馬町(でんまちょう)
に送られる。

前日に父と母に今生の別れをする 
座右の銘でもある孟子の「至誠にして動かざる者、

いまだこれあらざるなり」を縫い付け肌身離さず
持って伝馬町へ向かった。

5ヶ月に及ぶ取り調べの中で
様々な気持ちの変化や弟子達に
自分が亡くなった後に会っておく
べき人物や物事の捉え方など
認めたり、自身の誠意が至ら
なかった為に幕府の考えが変わら
なかったことを猛省したりして
おられた

全く考えの異なる梅田雲浜
(うめだうんぴん)との交流があった
などと評定所の三人が如何なる
理由をつけても死罪とする事を
悟ると生来激しく短気である自分を
律して弟子や家族に類が及ばない
様に努め、その事が決定すると
その事を大いに喜ばれた。

30年の生涯を振り返り
人生の長さに関わらず
各々の人生に四季があり
7日で天寿を全うする蝉と
樹齢何百年の椿を例えて
精一杯の生命の春夏秋冬
の質の大切さを綴り
自分の人生に満足している
と記し死を受けいる事で
後世の魂に留まり受け継いで
行きたい!と思わせる死生観を
表し現代の私達の今生きて
いる生命が輝いています。
松陰先生の座右の銘が真実で
ある事の証であると感じました。

斬首の日にご両親がまどろんで夢見る 
我が子松陰先生の元気なお姿で帰宅
する途中に目が覚め爽やかなとも言える

不思議な気持ちの折に松陰先生の
魂は明治維新への灯火となって受け継がれいく

事になるのです。
 
親思う心に勝る親子心今日の知らせを
なんと聞くらん。
処刑の20日後、家族の元に知らせが 
届いた。 

留魂録は二冊あり一冊目は同じ伝馬町の牢獄にいた


沼崎五郎(ぬまさき ごろう)に託された
沼崎はその後島流しとなり十五年の
刑を終えて東京に戻り松下村塾の
塾生を探して当時神奈川県令で 
あった野村 靖(のむら やすし)
の手に渡り現存しているとの事です、
流石松陰先生。万が一の時の為に
の状況も考えておられましたね。  

二冊目は弟子の入江杉蔵(いりえ 
すぎぞう)に渡ったがいつの間にか
行方不明となってしまいました。
無くしたと分かった時は大騒ぎに
なったのでしょうね。苦笑。

 石田師範からのお言葉で歴史を
嘆くのではなく先人達が掛け替え
のない命を使って懸命に生きた 
先人達のありのままを受け入れる
寛容さを学び自分の至誠が至らない
事を心に留めて今後の実学の糧に
します。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
留めおかまし大和魂。

本当の大和魂は時代が放っては
おかない事を信じて希望を持って
死生観は命を輝かせる事を肝に
銘じで心に留めます。

有難うございました。

365人の日本道
井口直樹(いぐち なおき)さん
タクシーの運転手という一期一会
(いちごいちえ)が大半占める
職業の中でも心を込めてお客様に
接するとあろうことか、再びの
ご縁が結ばれていく。

末期癌の宣告を清々しく伝えた
お医者様。死を受けいる為の
遺書を認(したた)めた事で
今ある命が輝き不況と言われる
業種でもお陰様で利用して
くださるお客様に感謝を
できる今があるとのことでした

本日は理不尽の中にある
死生観や逆境の捉え方で
生命や魂が一層の輝きが
ます事を学ばせていただき
ました。
有難うございました。














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