皆さんこんばんは
今週の一週間テーマは、「イスラム」です。
ということで基本的なことについて紹介したいと思います。
イスラムとは
イスラムは服従を意味するアラビア語です。 文脈では、イスラムは神の定める条項の上で、神の意志への服従を意味します。
イスラム教という名称は、キリスト教または仏教の場合のように、特定の人の名を取って名付けられたのではなく、ヒンドゥー教またはユダヤ教のような、ある一族名称から名付けられたのではありません。イスラム教は、神が望むように生きることだ。イスラム教は単なる宗教ではなく、生き方である。
ムスリムとは?アッラーとは?預言者ムハンマドとは?
イスラム教徒とは、イスラム教に従う人のことを指す。
アッラーは、アラビア語で唯一で真の神を表す。アラビア語を話すユダヤ人とキリスト教徒も、神を表す言葉としてアッラーを用いる。アッラーは、比類のない唯一の御方。主は存在するすべての永遠の創造者である。
ムハンマドは、570年にアラビア半島の町であるメッカで誕生した。
彼が40歳の時、神は、神のご意志を人々に伝えるための預言者として、ムハンマドを選んだ。 彼の任務は特に重要だった。それは、彼の後に来る預言者がいないからである。
ムハンマドは、神の最後の使徒だった。
調べてみるとこのように書いてありました。
皆さんは、上記に書いてあることについて、ご存じでしょうか??
それでは、調べる中で私が面白いなと思ったことがあったのでそれについて紹介したいと思います。
ムスリムの死生観について
イスラム教では現世と来世があります。今私たちが生きているこの空間は「仮」の世界と言われ現世です。彼らにとって来世こそが「本当の生」と考えられています。
死は来世への旅立ち、通過点であり、人生の終わりではない。
彼らにとって人生とは、「Life is journey」といった感じでしょうか。
来世は永遠で、天国と地獄に分けられ、どちらに行くかは生前の行いで決まります。
善行が多ければ天国へ、そうでなければ地獄へ入れられます。
死者はすぐに天国・地獄へ行くわけではなく、終末の日まで墓の中で眠っています。
終末の日がいつ来るかは、誰にもわかりません。神だけが知っています。
この点については、私たち日本人も同じようなことがいえるのではないでしょうか?
小さいころに、「得を積めば天国に行ける」と親に言われたことをかすかに覚えています。
終末の日にすべての死者が復活させられ、神の前で審判を受けます。
生前に善行に励んだ者は天国に入れられ、そうでない者は地獄で永劫の責め苦を受けます。生きている間、人間の両肩には天使がいて、善行と悪行を記録しています。
その記録をもとに、神が審判を下し、天国に入るか地獄に入るかが決まります。
人間の魂は、死んだ時にいちど肉体から離れます。
そして終末の審判の時に、生前の肉体と結び付いて復活します。
☝実はこれが理由でイスラムの埋葬方法は日本と大きな違いがあります。
イスラムは、火葬?土葬??
まず初めに、イスラムの埋葬方法は必ず土葬です。
これはなぜなのかというと、先ほど書いたように審判を受ける為です。
というのも、火葬をしてしまうと肉体が残らないので審判を受けることが出来ないといわれています。また、火で焼かれるのは地獄と同じ懲罰とされています。なので、終末の非の審判を受けるために、必ず土葬で行います。
ちなみに仏教では死んだあとはすぐに閻魔大王に裁かれ天国か地獄かどちらかに行くことになりますが、イスラム教では死んだ人の魂は善人だろうが悪人だろうがいったんみんな、冥界「バルザス」にとどまります。
葬儀と埋葬について
死後はできるだけ早くに埋葬します。
亡くなったら、できるだけ早く、その日のうちに埋葬されます。
近親者であっても、「最後のお別れ」ができないことが少なくありません。
埋葬方法もきちんとあるので気になった人は調べてみてください。
また、墓は「終末の日までの一時的な遺体置き場」という位置づけのため、とても簡素です。イスラム教の教えに厳格なサウジアラビアでは墓碑もなく、遺体が埋められているのを示す石が置かれているだけです。
それ以外の国々では、墓碑や墓標が立てられていることが多いが、それも簡素なものです。墓を末代まで守り、維持していくという考えもありません。墓はあくまで死者個人の一時的な死体の保管場所。「〜家の墓」というものはありません。
墓参りもすることもありますが、日本ほど熱心には行わないそうです。
ここも日本とは大きな違いですよね
以上のように、イスラム教について簡単に紹介しました。
イスラムの人生観について学びましたが日本とは、大きく違うとこや共通点などもみつけることが出来ました。
最後に調べている中で、一番印象に残ったことを紹介したいと思います。
「いつも死を意識することが生を有意義にする」
イスラム教徒はいつも死を意識して生きています。
小さな頃からコーランを読み、そこに書かれた死後の来世の天国と地獄の存在を教えられて育ちます。ふだんから来世で天国へ入るために善行を心がけています。
つまり「よりよく死ぬために、よりよく生きている」のです。
いつも死を意識することが、生を有意義なものにします。
自分が今回調べて、日本とムスリムの大きな違いは、このことではないかと感じることが出来ました。また、イスラムに対してよい印象を始めは持っていなかった私ですが、今回調べてみて私たちが持つ偏見について改めて考え直すことが出来ました。
皆さんも一度自分の心に問いかけてみてください。
自分が死んだらそのあとはどうなるのか?
よりよく生きるとは?
以上で終わりたいと思います。ありがとうございました。
大変興味深く読み入ってしまいました。生と死については私も考えるところがあり、生きるために生きるのか、死ぬために生きるのか。私は後者の考え方ですが詳細はまたどこかでお話し出来ればと思います。
中田さんの考える「より良く生きる」についても非常に興味深いなと思いました。
矢口さん、コメントありがとうございます!
この記事を通して、なぜ私たちは生きるのかということに対して、深く考えることが出来たと思います。
またどこかでお話出来ることを楽しみにしています。