頼り方

前回の記事のコメントで先生から指摘されたことについて考えてみました。
8月の投稿(日記以外)の5つのうち3つの投稿で、「先生に言われたので」というような言葉を使っていました。
自分自身では無意識に使っていたものです。
 
自分自身で何かを考えてやってみるということをあまりしたことがなかったことから、先生と相談しながらこのPandoも進めて来ました。
何かをやってみるということで成長できるとキャリアデザインの授業で知ったこともあり、Pandoを頑張っていました。
何を書けばいいのかを先生に相談し、「こういう記事書きな」と助言を頂いてやっていたことは事実ですが、そのワードを連発し、それが失礼に値するとは考えていませんでした。
まずこの「言われたことをやっている」という認識も今回のことで気づきました。
 
記事を書くことで成長出来たり、何かが変わっていくと信じてやっていましたし、徐々に良くなっているとも思います。
「何を書いていいか分からないから先生に相談→それを書く→それにアドバイスを貰う→また書く」というサイクルです。
ここでやはり問題になるのは、先生がいないと今までの記事の半分くらいは書けていないorとてもレベルの低いものとなっていたことです。
 

自分が一番欠けているやってみるということ。それを変えたいという気持ちを持ちながら記事を書いていましたが、今までは先生の手を借りまくってやっていました。
主体性を持つためにも、それをもう変えていかなければいけません。
​そのためにはまず、頼るにもその方法を変えていく必要があります。
「どうすればいいですか?」と丸投げのように聞くのではなく、まずは自分で考えてみて、「こうしてみたいのですが、どうでしょうか?」などと、意思や考えを持っていくことが必要だと思います。
もっと考え、やってみるための助言を貰うようにしたいと考えます。
そもそも手を借りなくなることが理想ですが、、
ステップを踏んで成長していきたいです。

【学生発】日常の気づき
40件
藤原 匡宣 (FUJIWARA,Masanori)
2022.08.30

失礼というか、「やらされるのならやらなきゃいい」と言いたいだけです。
正課外だし、自分たちできて学んでいることを考えれば、
やらされるくらいなら他に時間を費やしたほうが楽しいこともあります。

とはいえ、まあ、こういう話をするのは、毎年のことなんです。実は。
それはなぜか、、、学生たちが自分たちの本来性を失い、目的と手段をすり替えるという事象が起きるから。
自分たちの想いだったことを、私のためとか、私がいるからとか、
よくわからないことを言い始めるから。

厳しくは言うけれど、今回の記事のような気づきあることが大事です。

きっと、あなたの想いが他の人たちにも届いていますよ。
そして、同じようなことを考えているのに、踏み出せない人がいるのも事実のようだね。

他の人は踏み出せなかった一歩を自分で踏み出して、
一人でも踏ん張って食らいついてきている姿は素敵です。

Pandoではコメントしないようにしていますが、
コメントが付くことの意味を考えてみてください。
「期待」とやらが答えだとわかるでしょう。

君のように自力で食らいついてきた先輩たちが、
自力でつくって、好き勝手やっていた時代のHPを見てみてください。
https://norislab.wixsite.com/website/

そこには、君のような想いを持って学生生活を過ごして、
想いを実現した人たちの学びの姿が詰まっていますから。
そうすれば、何かヒントがあるかもしれません。

踏ん張って!!

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