ロシアと化学と音楽と

Привет! 理一4組に1週間だけ在籍していた、理一28組の あみゅ です。化学とピアノが好きです。

さて、皆様は「化学と音楽を両立した人物」の例を挙げることができますか?化学と音楽ってあまりにも分野がかけ離れているので、両立するのは結構難しいんですね。なので、両分野で功績を残した人はそんなに多くないんですが、マニアの方なら恐らく一人思いついたことでしょう。そして、その人は偶然にもロシア人なんですね。もうクラスの垣根を越えてブログを書くしかないと思ったね、私は。

Aлександр Бородин

(画像引用:https://history-of-music.com/borodin)

アレクサンドル・ボロディン(Александр Порфирьевич Бородин, 1833-1887)です。帝政ロシアの作曲家かつ化学者かつ医師という異色の経歴をもつ人物です。
彼は現在音楽家として知名度が高く、オペラ「イーゴリ公」より「韃靼人の踊り」("Половецкая пляска с хором" из "Князя Игоря")を筆頭とした楽曲が有名です。


サンクトペテルブルクにて、グルジアのイメレティ州タヴァディ(თავადი, 王子)のルカ・ステパノヴィチ・ゲデヴァニシヴィリ(ლუკა სტეპანოვიჩი გედევანიშვილი, 62歳)と既婚のロシア女性エヴドキヤ・コンスタンティノヴナ・アントノヴァ(Евдокия Константиновна Антонова, 25歳)の非嫡出子として生まれます。実子の戸籍登録はなく、農奴の一人のБородинの名前が付けられました。幼い頃より音楽の才能を示し、ピアノを含め教養的な教育を受けて育ちます。家庭ではピアノ、フルート、チェロを演奏して楽しみました。
ボロディンは30歳でミリイ・バラキレフ(Милий Алексеевич Балакирев, 1837-1910)に弟子入りして正式に作曲を学び始め、1869年に交響曲第1番を初回講演、同年に交響曲第2番に着手します。後者はかの超有名なフランツ・リスト(Liszt Ferenc, 1811-1886)が1880年にヴァイマルでドイツ初演を行うことで、広く名が知れ渡りました。


交響曲第2番の第二楽章(Scherzo)は世にも珍しい1分の1拍子のPrestissimo(テンポ表示でほぼ最速)で書かれています。

Могучая кучка

ボロディンはロシア5人組(Могучая кучка)とよばれる、バラキレフを中心として19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団の一人に数えられます。残りの3人はツェーザリ・キュイ(Цезарь Антонович Кюи, 1835-1918)、モデスト・ムソルグスキー(Модест Петрович Мусоргский, 1839-1881)、ニコライ・リムスキー=コルサコフ(Николай Андреевич Римский-Корсаков, 1844-1908)で構成されます。
特にムルグスキーの「展覧会の絵(Картинки с выставки)」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行(Полёт шмеля)」は音楽に然程詳しくなくても知っている方が多いのではないでしょうか。個人的には、バラキレフの曲と言えば東洋風幻想曲「イスラメイ(Исламей)」が最初に思い出されます。激ムズです


実はバラキレフを除く4人はもともと音楽が本業ではなかったという裏話もあります。ロシア5人組の影響で近現代の作曲家と思われがちなボロディンですが、実はヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)と同い年のバリバリ後期ロマンの作曲家です。

さて、イースターマトリョーシカのクロスワードの「タテ4J」には、ロシア5人組と非常に密接なロシア人音楽家が当てはまります。その人物はヨーロッパ流の音楽院教育に依存した作曲技法をなぞろうとしており、誰も教育機関で作曲理論を学んだことがなく、明瞭にロシア的な芸術音楽の創造を目指すロシア5人組と対立していたのです。幾度と攻撃対象と看做されるも、最終的には(懸念をもちつつも)協力関係に入りました。
その人物の代表作には、「白鳥の湖(Лебединое озеро)」「くるみ割り人形(Щелкунчик)」「眠れる森の美女(Спящая красавица)」などが挙げられます。皆様、もう分かりましたか?

Химия

ボロディンは音楽家として有名ですが、本業は化学者で、いつも化学で収入を得ていました。サンクトペテルブルク大学の医学部に入り、最優秀で卒業した経歴もあります。そんなボロディンが1872年に最初に発見したと考えられている有機反応が、炭素と炭素を簡単につなぐ夢のような反応、「アルドール反応(Aldol reaction)」です。
化学が得意な人はこれを聞いただけでめちゃくちゃスゴい人って分かるはずですが、よりスゴさを分かりやすく伝えると、デイヴィッド・マクミラン(David William Cross MacMillan, 1968-)と共に最新(2021年)のノーベル化学賞を受賞されたベンジャミン・リスト(Benjamin List, 1968-)の受賞理由がアルドール反応に関する触媒の開発で、まあ要約すると、ノーベル賞級の発見ということです。

これだけに留まらず、ボロディンは1861年に「ハンスディーカー反応(Hunsdiecker reaction)」とよばれる有機反応も発見しており、これはボロディン反応ともよばれます。
有機化合物から炭素を1つ減らすことができる結構スゴい反応です。銀を使わずに高収率で目的物が得られる環境にやさしい条件もあるようです。

Люди вокруг

ボロディンはバラキレフやリストの他にも数々の著名人と繋がりました。24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張し、その時にムソルグスキーと出会い、ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810-1856)の曲を紹介されて興味をもちます。26歳の時にハイデルベルク大学に入学し、元素理論を確立したドミトリー・メンデレーエフ(Дмитрий Иванович Менделеев, 1834-1907)と知り合います。1880年、皇帝アレクサンドル二世(Александр II, 1818-1881)の在位25周年に委託された交響詩「中央アジアの草原にて(В средней Азии)」が多くの人々の好評を得ます。「イーゴリ公」は結局本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかったため、没後にリムスキー=コルサコフやアレクサンドル・グラズノフ(Александр Константинович Глазунов, 1865-1936)によって補筆と改訂が進められました。一握りの歌曲とピアノ曲も残され、なかでもピアノ曲「スケルツォ 変イ長調」はセルゲイ・ラフマニノフ(Сергей Васильевич Рахманинов, 1873-1943)が演奏を録音に残しました。情熱的な音楽表現や比類のない和声法は、クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862-1918)やモーリス・ラヴェル(Joseph Maurice Ravel, 1875-1937)といったフランスの作曲家にも影響を与え、中でもラヴェルは交響曲第2番第一楽章の第一主題を自らのクラブのテーマ音楽にしていたそうです。自身も知人もファンもみんなムキムキで面白い

Афоризм

- Респектабельные люди не пишут музыку и не занимаются любовью ради карьеры. -
ボロディンが遺した名言です。「立派な人は曲を書いたり情交したりすることを職業にはしない」という意味になります。非常にボロディンらしい名言といえます。

Резюме

はやくこれになりたい
参考文献
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
クラシック音楽家の年譜 ~岩田 幸雄 編~ https://history-of-music.com/borodin
ケムステ https://www.chem-station.com/
時々脳内情報