なぜ、日本から遠く離れたガーナの孤児院の自立支援を始めたのか。
それは、「アフリカって何か面白そう。アフリカをこの目でみてみたい」、そんな好奇心がきっかけでした。
大学二年の夏(2012年)、あるNGOに斡旋されたガーナの孤児院(今の支援先)へボランティアとして派遣されました。孤児院には一ヶ月滞在しましたが、環境は決してよいものではありませんでした。子どもたちは栄養のない食事を食べている現状を目の当たりにしましたが、お金も知識もない私は子どもたちと遊んであげる以外に何もできず、大きな無力感に浸りました。その悔しさとストレスで「こんな国、二度と行くか!」と思ったほどです。
しかし、自分は何もできなかった。
落ち込んで帰国しました。
しかし、日本に帰ると多くの人から「アフリカに行くなんて、すごいね。」と、声をかけられました。それがすごく心に引っかかりました。アフリカなんて誰でも行ける、行ってどうするかが重要じゃないのか?そう思うと、行って帰ってきただけの自分が、とてつもなくダサく感じました。
気が付けば私の心は180度変わっていました。
「またあの孤児院に戻る」
来年の夏にこの孤児院にもう一回行こうとする自分がそこにいました。
しかし、当時の私は理工学部。
開発経済の知識が全くなく、お金と物さえ現地に渡せば貧困は解決する、という甘い考えしかありませんでした。そんな私でしたが、専門家をはじめ開発の分野などで教養のある友人や先輩に恵まれ、次第にお金や物を渡す援助の無責任さに気づいていきました。「魚の釣り方を教える」という概念を初めて聞いた時にはすごく納得したことを今でも覚えています。
これが「自立支援」との出会いです。
自立支援にも課題はあります。私たちがいくらやる気があっても、現地がやる気がなければ続かないからです。そこで、現地のニーズを聞き出してそれを助ける形態にしました。
しかし、当初、現地の孤児院はお金の支援を求め、自立支援について見向きもしなかったのです。時間はかかりましたが、何度も現地とスカイプを繰り返し行い、信頼関係を作り、『あなたたちのことを一番思っているからこそ「お金」ではない支援をしたい。』という私たちの考えを現地に届け、無事、2013年の夏に現地が望む学校菜園を取り入れることができました。
今後も 培った信頼感権をもとに 孤児院がお金を生み出す可能性を最大限に引き延ばして
挑戦し続けていきたいと考えています。
そして・・・・
この活動を始めた動機がもう一つあります。
アフリカに行って何かやりたいという学生に私の持った無力感を味わってほしくない、ということです。無力感を感じないためには、あらかじめ現地と密に繋がり、現地のニーズを日本にいながら把握し、それに対応して日本で準備をし、ガーナでやることがない!といった事態を防ぎます。また、個人個人が渡航前に特定の専門分野に関する学習を行い、ガーナに行った時に一歩踏み込んだ視点で、孤児院を見ることができるようにすることも必要だと考えています。