原体験と今の夢

今まで歩んできた人生の中で最も有意義のある時間は

高1のときの年末休みの2週間。

2週間日本に留学して、日本の高校に通って、日本の環境に惹かれた。

世界は広くて色んな可能性があると気づかせた経験だった。

小さい頃から日本に行きたいという夢は特になかったけれど、日本にいる時に感じていた人々の優しさ、環境がすごくよかった。赤の他人の僕を優しく接してくれて方々が多くて魅力的だなー という想いが帰国してからも残っています。

日本から戻って、高2のときは辛かった。日本での生活はすごく自由を感じて楽しくて、ここに戻って寂しくてなぜここにいるのか

と悲しい思いをした。

まあここの高校生の友達もいてくれてたので、ちょっと時間かかってから大丈夫になった。

高校は寮付き学校で寮は校内にある。

勉強に集中するための環境でスマホもだめだった。

だけど学校で学ぶ科目はあまり好きじゃない。「役立たない」など考えて、学生のそれぞれの可能性にあう教育制度ができたらいいなと思う。

ずっと校内にいて他のところはどういう感じなのかも知れる機会がなくて、違う生活を送っている人と繋がる機会もなくて、結局自分の視野も広げられないですね。それが嫌だった。

もうしょうがないと感じて、

「悲しいからこそ日本語の勉強をしよう。繋がれるときの準備をしとこう」

という結論についた。

もちろんマレーシアでもたくさん素敵な友達、家族、知り合いがいる。

どちらでもいいと思っているけど、なんとか日本の環境にいたいね。

誰でも自由に生きていられる社会が欲しい。自分から作りたいのは難しいからただ欲しい笑

 

 

「豊かな人間関係から幸せが生じる」と学んだときはそのことを共感した。今は豊かな人間関係ができているかどうかはわからないけど、人間関係で感じている幸せはわかる。

日本に行くまえの僕は全然違う価値観を持っていた人だったけど。

振り返ると

その前、豊かな人間関係よりかは、自分の好きなことしか注目してなかった。

中2のときウェブプログラミングと出会って、

最初にやってみたときにネットで検索したら入力した言葉が出てくるとい発見が魔法みたいで、学校の勉強よりもプログラミングの方が楽しかった。

そこで学校終わって、放課後のときは友達と過ごさなくて、プログラミングの勉強をしていた。

と言っても、不自由だった。プログラミングの勉強をしていたのはコンピューター室で。先生が帰ったら、僕も帰らないと。パソコンを学校に持っていくとしても先生に渡さないと。自分のやりたいこと、繋がりたいときもできないのは残念なこと。

やりたいことをやるときには満足していたけど、人間関係で生じる幸せのは実感している。

今の僕のビジョンは、

  • 日本に行って、プログラミングで貢献したい。もちろん豊かな人間関係を保ちながら。

偉いビジョンもないんだけど、今のところはこの夢。自然も好きで、自然を守るためのプロジェクトもいつかサポートしたい。

そういう夢を追いかけながら、色々な方と話したい、新しい発見や学びができたらまたビジョンも変わって行くと思います。

*おかしい日本語とか不明な点があれば言ってね笑