貴也のターニングポイント~全ては成長の機会~

「貴也の人生で起こることには全て意味があるんだよ。」

母がずっと私に言ってくれていた言葉。

「じゃあ、どんなに失敗してもそれは許されるの?」
「俺が明日、学校辞めても全てに意味があるって言えるの?」

私は納得できずに言い返した。

「そうだよ。全て必要な経験だよ。」

母は笑いながら言う。

「それは、できない人の言い訳だよ。」

私は、この母の言葉が「逃げ」のように聞こえて仕方なかった。できない人の言い訳にしか聞こえなかった。





私は、高校3年間本気でテニス部での活動に取り組んだ。昼練習を自主的に初め、練習では限界まで自分を追い込み、練習後も学校の電気が消えるまで自主練習した。家に帰って、プロテニス選手の試合動画を見て、研究もしていた。

勝ちたかった。ただただ強くなりたかった。
しかし、練習では強くても、試合ではいつも「自分のプレイ」ができなかった。

「テニス好きでやってるんでしょ?もっと楽しみなよ!」

母がずっと私に言ってくれていた言葉。

「楽しめるわけないじゃん。俺は勝たないといけないんだから!!」

私は言い返す。

何でだろう。この会話を鮮明に覚えてる。自分はキッチンにいて母はリビングで洗濯物を畳んでいた。おそらくこの言葉に「むっ」としたから記憶に鮮明に残ってるのだ。

俺は勝ち続けなきゃいけない。
楽しむなんて甘い。
勝つことが全て。

そう思った。



この価値観は幼少期頃から徐々に形成された。小さい頃は、怖がりで寂しがり屋な性格で、人と一緒にいることに強い安心感を感じる子供だった。だから、勉強や運動を頑張って家族から褒められると嬉しかったし、幼稚園や学校で人気者になることが嬉しかった。そこから「人を惹きつける強さ」を求めるようになり、逆に「弱い」と「ダメな人間」だと周りから人がいなくなるのではないかという恐怖心も生まれた。その「強さ」や「弱さ」を判断する基準が「結果」や「勝利」であった。

だから、「勝つ」ために一生懸命努力してきた。
人よりいい結果を出せる自分が誇らしかった。

ただ努力すればするほど、人一倍「失敗」や「人に弱さを見せること」が怖くなった。テニスの試合で「自分のプレイ」ができなかったのも、ミスをして負けることが怖かったからだ。





高校3年生の秋、私の価値観を変える「人生のターニングポイント」が訪れる。

大学指定校推薦の落選。


たかが指定校推薦かもしれないが、自分にとってはこの目標に向かって、2年間勉強と部活を本気で取り組んだ集大成だった。

こんなに頑張ったのになんでと思う被害者意識。
自分はダメなやつだと責める自己嫌悪。
もう何をやってもうまくいかないと感じる無力感。
そんな自分を認められない自己否定。
でも、負けたままじゃいられないと思う焦燥感。

勝利という「結果」を重んじ、負けることをダメなことと決めつけ、蔑んでいたから尚更、そんな自分を認めてあげられず、自分で自分を責め、自分を苦しめた。



自分ではどうしようもなかった。




でも、ある人の一言に救われた。

「貴也の人生で起こることには全て意味があるんだよ。」

母がずっと私に言ってくれていた言葉。

初めは、納得できなかった。でも、落ち着いてよく考えると、このような結果になり、このような心理状態になった原因があることに気づいた。


その一つは、
「人に勝つことに固執し、自分を失っていたこと」

人より優れることに固執するあまり、人を攻撃するような言葉を使ったり、強い自分を演じたりすることに夢中になり、本当の自分ではなくなっていた。

自分の外にある「誰かが決めた価値」ばかりを求めて、自分の内に秘める、

「自分らしさ」「自分が大切にしたいもの」が欠けていた。

だから、外にある結果が得られず、自分は心理的に不安定になったのだ。


この経験で私が学んだ一番のことは、

他者からの評価や結果も大切だが、
一番大切なのは、「自分がどうしたいのか」「どんな人間でありたいのか」と言った「自分らしさ」を内に持つと言うこと。

言葉には表せない大切なもの(自分の価値、満足感を与えてくれる何か)は、自分の「外」にあるのではなく、自分の「内」にある。それは誰が何を言おうと変わらない。「自分はどうしたいのか」「どうありたいのか」を自分の「内」に秘め、それを信じ、「自分らしく」生きること。正しさや勝利は人が決めるものではない、自分が決めることであるということ。

もちろんこの経験から、自分の価値観が一気に変わったのではない。
この後も、まだまだ人と自分を比べて劣等感を感じたり、自分の弱みを隠くし、自分を強く見せようとするストーリーは続く。

しかし、この経験をきっかけに、いろんな経験を重ね、ゆっくりゆっくり「本当の自分らしさ」「本当に大切なもの」「本当の強さ」に気づいていった。

だから、たくさんのことに気づかせてくれたこの経験には本当に感謝しかない。
死のうと思うほど苦しかったけど、これからの人生で「大切にしたいこと」を学ばせてもらった。


まさしくターニングポイントと言える。


そんな自分は現在、部屋の壁に貼ってある

「8つのありたい姿」

を日々見ながら「自分はそう在れてるか」と自問しながら生きている。
そう在れている自分に満足感と誇りを持って生きている。

もちろん結果も大切にしている。要はバランスが大切なのだ。

まだまだ未熟者。だから、少しでも「自分のありたい姿」に近づくために、毎日一生懸命生きている。今では、自分の弱さを認め、受け入れてくれる仲間もできた。

いろんなことを学ばせてくれたターニングポイントには感謝だ。


今では、はっきりと自信を持って言える。








「貴也の人生で起こることには、全て意味があるのさ。」


ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。


p.s この記事一旦書き終えてたけど、wi-fiの関係でうまく保存できず全部消えちゃった。
でも、2回目は1回目よりもいい記事が書けたから...........でしょ♡

松下 耕三
2020.06.12

「人生で起こることには全て意味があるんだよ。」
こんな言葉が自然と出てくるような人で在りたいと思いました。
43年も生きていると人生でいろいろな事が起こり、大きな悲しみも憤りもありましたが、私の使命が湧き上がる源泉になっていることがよく分かります。
また、全てに意味を持てる人になることが、感謝を込めて毎日を生きられることでもあると感じます。

私も未だに竹山君と同じことを繰り返す毎日です。在りたい自分であろうとし、そして今そうであるように、新しい在りたい自分が湧き上がり、もっとこう在りたいと思える自分を見出して、そう在ろうとする。

最近、より強く思うようになりましたが、竹山君がここに書いてあることが、人が人生を謳歌する源泉であると。

もう我々は同志ですね!!

竹山 貴也
2020.06.12

松下社長コメントありがとうございます!
松下社長の原体験からくる重みのあるお言葉は、「この生き方でいいんだ」と再度背中を押してくれます。ありがとうございます。

記事を書くことで、改めて過去を振り返り、学びを確認し、自分のこのMissionで生きていくんだと改めて自分を信じられました。

自分のMission, Visionを持ち、言葉にするって素敵ですね。そして、それを人と分かち合えると言うのはさらに素敵ですね。

これからも言葉にし続けていきたいと思います☺︎

松下 耕三
2020.06.12

はい、Pandoは響き合う魂が出会えるプラットフォームですので!!

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