私が手話サークル~緑風文化~を立ち上げたのはなぜか?

はじめまして、大東文化大学手話サークル~緑風文化~です!今回初めて第6回学生団体総選挙にエントリーさせていただくことになりました。当サークルでは「手話」というコミュニケーションを通して一人一人のコミュニケーションの視野を広げたり、問題意識を作ったりと色々な活動をしています。
 初回は代表を務めている私、「ボーイッシュ」が書いていきたいと思います。当サークルが始まったのは2017年の冬、私が大学一年生の時に非公式として立ち上がって、去年(2019年)の4月から公認サークルとしての活動をスタートした新進気鋭のサークルです!緑風文化を立ち上げることになった背景には私の生い立ちが関係している部分があります。
 私は生まれつき両耳が聞こえません。皆さんが知っている言葉で表すなら「聴覚障害者」にあたりますね。私の場合は「ろう者」という言葉を使うようにしています。普段は補聴器を付けて生活していますが、補聴器を外せば全く聞こえません。少しだけ聞こえるというわけではないのでアイデンティティーとして「ろう者」であるという風に私は考えています。コミュニケーション方法は「手話」と「口話」を使っています。「口話」は皆さんが当たり前のように使っている声を出して話すコミュニケーション方法です。それに対して「手話」は両手の動きに、表情や身体の動きなどを加えて伝える聴覚障害者が使うコミュニケーション方法です。
私が大学に入ってから軽いカルチャーショックを受けました。なぜなら、今まで聴覚障害を持つ生徒達が通う「ろう学校」に通ってきていた経験が長いので「手話」が当たり前のように確保されている世界に慣れていたのです。そこから大学では一気に「手話」が当たり前ではない世界に飛び込むことになります。手話を知っている人がほとんどいないなか、コミュニケーションの壁にぶつかりました。また、私の場合は自分から「口話」で話すことができるため、周りから誤解を受けることがたびたびでした。それにはお互いのイメージのギャップが原因で、私は「手話だけ話してもコミュニケーションとして通じない時もあるから多少は口話を使わなければ」と思っていて話していると相手(友達)からすると「え?話せるの?耳が聞こえない人って声出せないと思っていたけど話せるなら聞こえているんじゃない?」とイメージとのズレで、「話せる=聞こえる」という考え方があり、なかなか聴覚障害を理解してもらうことが難しかったのです。コミュニケーションの壁というものを目の当たりにし、友達がなかなかできず、一人でいる時間が増えていき、その時「手話ができる友達が一人でもいたらいいのにな・・・」と呟くように言ってきました。その思いを実現しようと大学一年の冬に手話サークルを立ち上げる決意をしたということにつながりました。
 最初は私の個人的な理由から緑風文化を立ち上げましたが、今では手話を通して様々なコミュニケーションを用いることで全ての人がコミュニケーションが当たり前のようにできるようになってほしいとの思いから今もサークルを続けています。そして、コミュニケーションの壁のようなものを感じるのは聴覚障害者と健聴者の関係ではなく、その他の障害を持つ人たち全てと健常者との関係にも言えるのではないかと考えています。「手話」を通して誰も区別せずにつながれるような環境を作り出しながら、大学だけでなく、社会全体にも広めて行けたらと思いながら代表としてサークル活動の運営をしています。

 長くなりましたが、初回はここで終わりたいと思います。今後はサークルメンバーから「緑風文化に入ったきっかけ」「入る前と入ってからで変わったこと」について、書いていきます!