なぜ11代目関東コアになったか【長谷拓海編】

こんにちは。はじめまして!
昨年11代目関東コアをしていたはっせこと長谷拓海です。

後輩たちががんばって記事を書いているのに触発されたので、ぼくも(頑張って思い出しながら)関東コアになった理由を書こうと思います(笑)文章力に関しては後輩たちの方が高いのであしからずーーー

まずぼくがどこのだれか知らない人も多いと思いますので自己紹介を軽く。
一橋大学の経済学部に通う新3年です。昨年1年間TFT-UAの11代目関東コアとして活動をしました。特にメインで企画・運営したのは、夏のスタディーツアーです。受け入れ団体の方と連絡をとりながら、全国から参加者を集めてフィリピンの支援先へ連れて行きました。スタツアについてはまたそのうち書けるといいなぁ(書くとは言ってない)。

今はUAの全国広報担当として、ホームページをいじったり、SNSのキャンペーン考えたりしています。あとは後輩の相談に乗ったり??老害(笑)もしまくってます。
UA以外では、最近友人たちと一緒に、食品ロスに取り組みたい学生たちがチャレンジできる環境を作ろうと学生団体を立ち上げました!興味のある方はぜひ「チバベジyouth」で検索してみてください(宣伝)。

さて、本題に戻りましょう。ぼくがTFTを知ったのは、大学に入学するときです。もともと高校まではずっと陸上一筋で続けていましたが、大学では続けるつもりはなく、かねてより関心のあった国際協力の分野に関わりたいと思っていました。そうして学内のサークルを探したときに、国際協力をしている団体があまりなかったため迷わずTFTに入ったのがきっかけです。

ところが、1年次は兼任していた学園祭の実行委員がも当初の想像以上に忙しく、ほとんどTFTの活動に貢献できませんでした。そんな中、委員会活動の合間を縫って大学の先輩に誘われていったUAミーティングをよく覚えています。先代の10代目の代表がいわゆるカリスマで、そこで聞いた彼のプレゼンに息をするのも忘れるほど引き込まれました。あの衝撃というか感動というかこんなプレゼンをする人が世界にはいるんだなぁと笑。その頃は後に関東コアになるなんて夢にも思っていなかったので、10代目の方々をただただすごいなーと思っていました。

今思い出すと、ほんとに1年のころは学園祭一色だったなと思います。生活のほとんどを委員会に捧げ、常に頭の中は自分の担当のことでいっぱい。その分とても充実はしていたし、やりがいも学内の他団体では得られないほどありました。ただ、自分が将来やりたいことを考えたときに、このままでいいのかという疑問もありました。

もともと国際協力であったり、社会問題に取り組みたい、他の人のやっていないようなことで社会に価値を与えたい。そういう活動に取り組むなら学園祭委員をやりながらでは難しい。でも、学園祭委員をやめたとしてもそれに取り組めるとは限らないし、辞めた後にただ何となく学生生活を過ごしたら絶対にやめたことを後悔する。そう思ってかなり葛藤していました。

このまま3年まで学園祭委員を続ける選択もできる。続ければもちろんその分得られるものもある。なにより続けていれば楽しく充実した大学生活は保障される。学内のコミュニティを失うこともない。

辞めたときに確実に失うものと、得られるかわからないもの。この二つを天秤にかけて悩んでいた時に、大学の先輩伝手に先代の代表の方から関東コアをやらないかという声がかかりました。もし辞めたとして何を軸に過ごすのか悩んでいた僕にとって、このTFT-UAの関東コアという選択肢が生まれたことは非常に大きかったです。

もともとなんでもやってみる性格なことに加え、これによって天秤が辞めて得られるものの方に確実に傾き、迷うことなく関東コアになることを決めました。

この時のこの選択があったからこそ、今の自分がいる。間違いなくそれは確かです。自分の人生の中で本当に重要な意味をもつ選択でした。
いまでも学園祭委員のころの仲間とは交流はあるし、辞めたことは後悔していません。むしろ辞めてよかった。そう胸を張って言えます。関東コアをしていた1年間で本当に多くのことを学び成長させられました。それについての話はまた今度 ・ ・ ・

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