ここ最近、ずっと考えていました。
学生団体には限界がある。それでも、学生団体は
今日の記事は「学生団体って偽善団体なんですか?」という前に書いた内容よりもかなり重く、中二病チックです。こんなこと書くと皆んなから狂気的な女だと嫌われそうで怖いです。ビジョナリーコンテストや学生団体総選挙に私達TFTもエントリーさせて頂いている中こんな記事を書く私は学生団体で一番扱いにくい自信があります笑。
注意していただきたいのは、TFTを代表して言っているわけではありません。また、学生団体を蔑んでいる訳ではありません。私個人の意見にすらなってない散文ですが、もしよかったら見ていってください。
Pandoの中だけでも、私たちTFTUAと同じように、沢山の学生団体があります。
はっきり言って、私達学生団体だけで出来ることに限りがあると思っています。
しかも、学生団体でできるような事は、大抵、学生団体でなくても出来ることがほとんどだと思っています。
現在、コロナウイルスの影響により、様々なことができなくなってしまいました。関東コアとしてはいつも通り忙しいです。しかし、TFT–UAとしての活動はSNSでの発信のみです。
TFTは開発途上国に栄養を届けているイメージがどうしても強いですが、先進国の飽食文化による肥満などの生活習慣病とのギャップを無くしていくために、主に学食でヘルシーメニューを提供していて、そのヘルシーメニューの1食分につき開発途上国の給食1食分が届く仕組みになっています。
つまり、学食を提供できない今、何をしていないのと一緒です。(もちろん、SNSでの発信もも大切です。)色々模索はしていて、全国の代表が今だからできる支援策を考えてくれていますが、このご時世出来ることに制限もかかっているのでどうなるかわかりません。確実に去年通りの食数は提供できません。
詳しいことはわからないのですが、他の学生団体さんだって多分そうでしょう。
他の団体さんは途上国で寄付する資金を協賛金やイベントで集めたりしていると思いますので、人が集まるような行為をすることができない今、普段やっていた取り組みができないのは事実だと思うのです。
今までは考えたことがなかったけれど、いつどんな時でも同じ程度の学生団体の活動を行うのは極めて困難です。
なぜなら、学生団体は社会的に力をもちにくい存在だからです。強制力はありません。
企業のように結果主義ではないはずです。学生団体はどちらかと言うと、頑張った過程が評価されがちだと思います。
もちろん、傾向の話です。少なくとも、企業は頑張った過程だけで人物を判断しないでしょう。
大学生は良くも悪くも自由です。コロナウイルスで活動が縮小されても、ボランティア系の学生団体ならば支援国にダメージはあるかもしれないけれど、自分たちが活動できなくて自分たちは困ると言う事はありません。
企業は違います。お金を稼ぐ為に入るだけではないけれど、自分が生活かどうかもかかっています。現に、コロナで潰れる企業だって40社もあるそうです。コロナが直接影響して活動はできなくとも潰れる学生団体は極めて少ないでしょう。
理由を挙げればきりがないのですが、こういった学生団体として活動している以上学生団体は限界があると私の中では考えています。この限界というのは、強制力がないからこそ規模がどんどん縮小して行ったり、本来の目的を可視化しにくかったりなど色々なあると思ってます。
しかも、学生団体出なくてもそれっぽい事はできるし、普通に学生団体より活動できる所は多いです。
よくある視野を広げたいです、系はどこの学生団体もできそうだし、私がバイトしてる営業でもできます。ぶっちゃけ私にとっては社会経験ややり抜く力、成績1位とったる!と言う向上心などは常に件数を求められる営業の方が為になっているかもしれません。
じゃあなんで私が学生団体を続けているのか、なんですが、その学生団体の限界を本気で知ることができるのは大学生だからだと思っているからです。
やっぱりフードロス然りこの間あげた給食のパンの廃棄然り、やっぱり物事には色んな利権が絡んでいて、もうその利権問題って学生だけでは、と言うか誰もが絶対全部クリーンにできないと思っています。
ただ、やっぱりおかしいんじゃないの?と言えるのはまだ大した社会経験をしていない大学生が一番素直に感じることができると思っています。これは学生の強みであり学生団体の特権だと思います。
もちろん社会人になってもやっぱりおかしいんじゃないの?と言う事はできても、そこから先行動をとるのは世間帯が邪魔して実行することは難しくなると思います。
例えば、フードロスは食べれるのにもったいなくても捨てるっておかしいと誰もが思っていても、実際捨てる方が安いし手間かからないし、産業廃棄物になったものを売ってもし何かあって責任追及されたくないし、などもったいないだけで簡単に解決できる問題ではないと思うんです。
ベンチャーや研究員ならともかくとして、自分が意見を言えて、その意見が通って、みんなで進めていくって普通の企業では難しいことです。ある程度実績が認められないと難しいかもしれないし、そんなのやってみる時間がないくらい今こなす業務でいっぱいいっぱいだったり、もし失敗したら大きな損害になるかもしれないし、利権が絡んでそもそもできないかもしれないし、なかなか実行ってできないと思います。
特に何かを失う事なく(仕事で誰か大切な人を養っていることとは違うと言う意味)、時間が比較的自由に使える大学生だからこそ、たっぷり使える時間を、おかしいと思ったことに挑戦し続けることができると言うのは学生団体に入る価値ではないかなと思います。
自分で挑戦して失敗して、ああだからずっとこういうことになっているんだ(先ほどのフードロスならまだずっとこの問題がつきまとってるんだ)って突き詰めて突き詰めて絶望することだって、学生団体でしかできない。(企業でそんな風に時間を使うことは難しいと思う)
何が言いたいのかと言うと、口先でおかしいけど無理って言って社会に出るより、学生団体でおかしいと思ったこと・やりたいと思ったことに全力でぶつかってそれでもダメでも、挑戦しまくった先に絶望があっても、その絶望には口先でおかしいけど無理って言った「無理」とは違うから、結果だけでなく過程も意味があると思うと実感できるのは学生だからこそだと思っています、と言うことです。
そしてこの、やっぱりおかしいんじゃないかって思い行動する反骨精神?のようなものは、きっと自分の財産になると思ってます。
だから私は学生団体にいます。
学生団体に入る理由は人それぞれですし、先輩が優しかったから、TFTなら食べることが好きだからという理由で入る人も多いとは思います。もちろんそれも素敵な理由ですし、学生団体に入る理由に不純も何もないと思います。
ただ、ぶっちゃけそれは他の事に全部置き換えることができます。先輩が優しいのは別にTFTUAだけではなく、他の学生団体、学生団体でなくともバイトだったり趣味だったりと置き換え可能な言葉です。
ただ、大学を卒業するときに、先輩が優しかったから、4年間楽しみながら活動できたし、なんかTFTで活動できてよかったなあで終わっていては折角の団体に入ったのに勿体無いような気がするんです。学生団体に求めているのは人それぞれなのでとやかくは言いませんが。
何か縁があって学生団体に入って、代替可能な便利な言葉で学生団体を語るの捨て、やりたいことに挑戦し続け、結果として絶望感にまみれたとしても、やりたいことに打ちひしがられるその心に、それでもまだ挑戦し続ける環境にあること。だから私は学生団体には限界があっても、学生団体を選んだのだと思う。
学生団体には限界である、それでも、学生団体は
皆さんならこの後になんて続けますか?
私だったら、「学生団体には限界がある。それでも学生団体は制限がない。」ですかね。できることは限られますが、ぶっちゃけやっちゃいけないことがないと思っています。勿論人を傷つけるようなことはしてはいけませんが、やりたい!!って思ったことはやってみろ!!っていう組織だと思っています。T中さんが話すように、過程が評価される学生の特権を活かさないともったいないですよね😂