なにかを始めるこんな時期だからこそ

Global Village Program それ自体に意味はない」

3回。僕が今までこの活動に参加してきた回数。

そこから出した結論がこれです。

もしかしたら知らない人がいるかもしれないので説明。

Global Village Program(以下GV)とは、

海外で実際に困っている人のために家を建てに行くというボランティア活動のことです。

この記事はこんな方におススメです!!

・大学生

・就活中の人

・ハビタットメンバー


・自粛期間で暇してる僕の仲間(笑)


僕は今、大学4回生の年。

いわゆる就職活動まっただなかで、まわりの友人の動きも新型コロナウィルスの影響で慌ただしくなってきました。

この時期、多くの僕と同じ年の大学生が聞かれるであろうこの質問。

 

「大学生活で力を入れたことはなんですか?」

 

ボランティア活動に参加したことのある多くの人が、その活動のことを話すでしょう。

日本は近年で大きな自然災害をいくつか経験しました。

1995年 阪神淡路大震災

2011年 東日本大震災

2016年 熊本地震

2018年 平成307月豪雨

2019年 関東地域での豪雨

僕が思いつくだけでもこのとおり。災害が起こるたびに、有志でのボランティアが多く派遣され、現地での復興支援にいそしみます。

 

あえてひねくれた言葉を選ぶなら、「就活で自分をPRするネタ」は、尽きることのないように起きているわけです。

 

ボランティアに参加した学生の多くが、先ほどの質問にそのネタを用いて答えるそうです。

 

そして、次の質問で言葉を無くしてしまう。

 

「その活動にあなたはどのように取り組みましたか?」

 

僕はこれまで3回この活動に参加させてもらいました。

そこで学んだ、というか後から気づいたことは、

 

「体験」と「経験」は違うということです。

 

「いやいや言葉は違うけど一緒やろだいたい!!」

 お待ちください。

体験とは、その活動に参加し、その中での環境や雰囲気を生身で味わうこと

 

GV体験」をすることは簡単。時間を作ってお金を払って予防接種さえ打てば誰にだってでます。

チームワークを要求されるプログラムになるので、

目標や目的をメンバー同士で共有したり、

チームで統一のスローガンをたてたりすること、

そして報告会で自分のやってきたこと、感じたこと、達成したことなどを発表するのも、

GV体験に含まれるといえるでしょう。

 

はっきり言います。

 

 

GV体験それ自体」にはまったく意味はありません。


 

誤解を避けるために付け加えると、

もちろんこの活動で支援される人はいるし、

救われる人も結果としているのは紛れもない事実です。

それはとても尊いことです。

 

しかしこと自分自身にひるがえって考えた時、

その体験はいつしか単なる「思い出」になり、あえて冷めた言い方をするなら「情報」に過ぎないものになってしまいます。

 

そう、まだこれは経験とは言えないのです。

 

「んな経験ってなんやねん!?」

 

経験は、体験を経て、別の場面で自分にとって今までなかった感情や思考をしてしまった時、初めて使える言葉です。

 

体験が経験に変わる瞬間、それは確かに存在します。

 

僕の例をご紹介します。

僕がはじめてのGVで感じたことは、

「家って大事だな」なんていう馬鹿みたいに単純な感情でした。

しかしそんな現地で感じたものは、だんだんと薄れていきます。

 

半年以上が過ぎて、僕は自転車で関西国際空港まで往復というチャレンジをしました。

その帰り道、僕は感じたことのない恐怖に襲われます。

「もう、足が動かない、、、」

「雨も降ってきた、、、」

「もう、帰れないかも、、、」

大げさにも、本気で絶望していました。

体も心もすり減ってしまいました。

家に辿り着いたのは、午前3時。ビショビショのボロボロで帰宅しました。

 

その時、僕は心の底から家という存在に感謝しました。

大切だ、と、初めて心底思ったのです。

GVで感じた時とはそれこそ比べ物にならないくらいに。

室内ということ、水が飲めるということ、シャワーが出るということ、布団があるということ、

そして、帰る場所があるという事、、、

 

GV体験が、経験に変わった瞬間でした。

GV体験という時間が、自分の血肉になった瞬間でした。

ある意味初めて、GVというものを全身で体感した瞬間でした。

 

初めに書いた通り、GVそれ自体に意味はありません。

GVに限らず、体験というものは、それ自体に意味はありません。

 

体験した自分自身が、どのような意味付けをほどこすのか。

単なる思い出や情報に、どれだけ血を通わせることができるのか。

体験の価値を自分で「決める」ことができるか。


僕は結局、初めてのGVから半年以上がたってから

GVは家の大切さを気づかせてくれるすごい活動」という意味付けを、

使い古された言葉に、体験を経験に変えることで、

自分だけの意味付けをすることができました。

大学生は時間があって、めんどくさがらなければなんでもチャレンジできます。

こんなことはうざいぐらい耳にすると思います。

どんな「体験」でもできてしまうということです。

強調したいのは、その体験だけがあなたを強くすることは無い、ということです。

いわば土に撒いただけの種なのです。

種は水をあげなければ芽を出してくれません。

水をあげるように、自分の体験が経験になるまで、

自分のやったこと、その時感じることと向き合わなければいけません。

そうしなければ、体験の芽は、死んだも同然なのです。

「何をするか ではなく どのようにするか」

ゲームでも、料理でも、テスト勉強でも、合コンでもいいと思います。

僕はそれがたまたまボランティアでした。

なにをやるかに、貴賤はありません。

経験にまで昇華させることでのみ、その体験の価値を決めることができると僕は信じています。


えらそうに聞こえたかもしれませんが、ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝とリスペクトを、、、

最後にこの質問を贈って、締めくくろうと思います。

 

 

 

 

 

「あなたは今やっている活動に、どのように取り組んでいますか?」