皆さんにとって発展途上国とはどのようなものですか?
一般的に発展途上国は先進国との経済的な面などでの対比や、1日の賃金を指標として表しています。
痩せこけた子供たち、物乞い、勉強もせず家の仕事を行う子供たち。
これが高校生の時に私が考えていた発展途上国の姿です。
だが実際にカンボジアに行って驚きました。
もちろん国の中にも貧困の差があり、自分たちがサポートしている村はある程度生活に余裕がある村ではあったが、子供たちが携帯を持ち単車を乗り回しているではないか。大人たちはハンモックでゆらゆら揺られているではないか!
なにこれ!!すごい幸せそうやん!!
自分が高校生まで学んでいた勉強はなんだったのだろうか?発展途上国と一概に言ってもそれは対比であり実際に国民が貧しいと感じていない場合もあるのではないか?先進国がそんなイメージを押し付けてるだけなんじゃないのか?
私たちがしていることは本当に良いことであるのか?初めて異国の地を見た僕はずっと考えていました。
僕は子供たちと交流する際、自分がサッカーを通して支援していることから「将来はサッカー選手になりたい。」と言ってくれる子供たちが多いといいなと思い質問をする。
大抵の子供たちは学校の先生であったり、お医者さんと答える。中にはサッカー選手になりたいという子供たちもいて少しほっこりする。
日本の子供達に将来の夢は?と聞くともっと色々な答えが出てくると思う。
サッカー選手、お花屋さん、ケーキ屋さん、それこそアニメの仮面ライダーと言ったものまで、さらにはYouTuberなんて答えも出てくるかもしれない。笑
日本の小学生は小さい時から幸か不幸か様々なものに触れ、感性を豊かにしていく。
大きくなれば部活に所属し、悔しいであったり努力といった感情を知らないうちに学んでいく。
カンボジアの子供たちにはそういった多くのものに触れる「機会」がない。感情を豊かにさせる「環境」がない。
そのせいで将来の選択肢が減り、夢を持つ子供たちが自然と少なくなる。
そして自然と大人になって多くの可能性を知らないまま一生を終えてしまう。
あたりまえである。子供たちは自分の見たものや経験したものの中からでしか選ぶことができないからだ。
これが僕の考える先進国といわゆる発展途上国と言われている国の差であると考える。
これらのことから本当の貧しさは私は「感情の乏しさ」からくると考える。
気持ちが貧しいことで向上心を持つ国民が増えず、いつまで経っても先進国との差は縮まらない。
僕はいまサッカーを通してそんなカンボジアの子供達に気持ちを豊かになってもらう「きっかけ」を作りたいと考えている。
毎年カンボジアのオリンピックスタジアムで開くサッカー大会では多くの子供たちが悔し涙を流すようになっている。
サッカーを通して気持ちが豊かになった瞬間だと思う。
普段の遊びのサッカーから本気の勝ちたい。と思えるようなサッカーをできた瞬間だった。
この気持ちを経験することで他のどんなことにも活きると思っている。
僕はこれからもサッカーを通して子供たちの感情を豊かにしていきたい。
悔しいっていう気持ちが原動力になるって、WorldFutで活動している自分自身が物凄く実感する!上手くいかなくて悔しい思いをした時、次こそ成果を出したいって思うと自然と次の行動に繋がっていくなって思う! 経験を通していろんな感情に出会うし、その感情に伴ってまた更に経験も豊かになっていくんだね。
学生団体に入る前までは視覚的な貧困(目で見てわかる痩せこけてるとか電気がとおってない)に対してしかイメージが湧かなかったけど、WorldFutの活動を通していくうちに、感情とかまた違った視点で見れるようになったってのは凄い痛感する。
発展途上国と言っても、一概にどんな状況かなんて言えないということを実際にカンボジアにいって実感したね。「楽しい」だけでなく、「悔しい」や「もっと上手くなりたい」、「勝ちたい」などと子どもたちが感じてくれるようなプロジェクトを考えていこう!