初めまして。
学生団体WorldFutに所属しています、大学4年生の水野真維です。
わたしは大学1年の春から三年間、全身全霊でWorldFutの活動をしてきました。
4年生として、執行代を終え半年以上たった今、思考を整理して、WorldFutで学んだことや感じたことを書ければな、と思います。
今回は、わたしの思うWorldFutの活動の意味について。
わたしは、WorldFutは「幸せの選択肢を一つ増やす」という活動だと思っています。
国際協力というと、「貧しい人を助けて幸せにしてあげる」というイメージが大きいと思います。
ですがわたしはあまりこの考えが好きではありません、、(笑)
人の幸せは、本当に人それぞれで、誰にも自分以外の人の幸せを決めつけることはできないと思っているからです。
印象に残っていることがあって。
1年生の時の会議で、メンバーがそれぞれ「自分にとっての幸せの捉え方」を話し合うというものがありました。
わたしにとっての幸せは「晴れた日に明るい部屋で友達と時間を気にせずおしゃべりする」ことでした。
ですが、あるメンバーにとっては「何かを苦しくても頑張って、それの結果が出た時に、それまで頑張っていた過程が振り返った時幸せになる」と言っていました。
自分には全くない考えでした(笑)
これを聞いた時、20年くらい生きてきた中で、みんなそれぞれたくさんの経験をしてその20年を生きてきて。そりゃあ幸せの捉え方も違うよなあと改めて気づかされました。
こんなことから、メンバーの中でも幸せの定義が違うのであれば、違う国の人の幸せの形ってもっともっとたくさんあるんだろうなと思ったんです。
ですが、経済的な理由や技術が行き届いていないという環境が原因で、その人たちが幸せだと感じるかもしれない選択肢を知らないというのはとてももったいないことだな、と。
自分の知っている幸せを共有したい、一緒に楽しみたい、と思いました。
そして、WorldFutは、サッカーで幸せを感じてきたからこそそれを誰かに伝えたい!共有したい!というメンバーが集まっている気がします。
私たちの活動って
「サッカーっていう楽しいことがあってね、こんな風に試合ができたり、こんなおっきな会場でできたり、多くの人から応援されたり、逆に応援することもできるんだよ。
もし気になったら、好きになったらまた一緒に楽しもうね」
ってことなのかも、と自分の中では理解しています。
わたしは運動が得意じゃないので、サッカーは全くできないけれど、
早くカンボジアに行けるようになって、がむしゃらにサッカーを楽しんでる子たちを女の子たちと一緒にワイワイ応援したいなあ、と思います。
あ〜〜早くカンボジアに行きたい!!!!!!!