おはよう。こんにちは。こんばんは。
最近、頭痛悩まされて、頭痛との向き合い方を探しているTTです。
(いやいや、向き合い方合ってるのかw)
僕はよく悩むことが多くて、悩みのタネはいつも消えません。友達や周りの人から「なんでそんなに恐れているの?」と聞かれることもあります。いつも不安や恐怖感を持ちながら、生きています。なぜ、こんなに不安なのかという漠然としたものと向き合わないと自分が前に進めない気がしたので、ここで整理することにします。少し考えていくうちに、少しずつ不安への正体がわかってきました。
僕の不安を分解すると、たくさんあるのですが、今回は「自己肯定感の低さ」についてお話します。
(違う不安はまた違う記事で書こうと思います。以下から文章のテイスト変えています。ご了承ください。)
目次
「自己肯定感」との出会い
昔から自分のことをいつもぼんやりと「嫌いだ」と感じることが多々あった。「なぜだろう」と考えると、苦しかった。友達に「もっと自信もとう!」や「君ならいけるよ」などと言われ、その言葉を信じて頑張ろうとしていた。しかし、それも一瞬の処方箋に過ぎなかった。「自分には能力やスキルがない、だからもっともっと頑張らないといけない。」という気持ちを持ち、今まで生きてきた。
そこで出会った言葉がある。それが「自己肯定感」だ。自己肯定感の意は「自己価値に関する感覚で、自分が自分自身のことを認め、尊重すること。」である。この言葉に出会い、自己肯定感が低い人の特徴を見ると、ほとんど当てはまった。ここで、僕は自己肯定感低い人間だなと認識した。
自己肯定感の低い人の特徴
1.他人と比較する
2.承認欲求が強い
3.褒められても素直に受け入れることができない
4.常に弱気、消極的
5.自分のことが嫌い など
思春期のトラウマ
なぜ、こんなに自己肯定感が低いのか。自分の胸に手を当てて聞いてみると、1つのエピソードを思い出した。
それは高校の時に部活動を辞めたことだ。僕は小学校から高校1年まで、野球をやっていた。野球が好きというよりかは一緒にするメンバーが好きだった。しかし、高1の時、野球部の人間関係で本当に悩んだ。野球部と言うと、上下関係が厳しく、先輩に抗うことはできない。中学との環境が変わり、うまく野球部のメンバーと信頼関係を築くことができなかった。さらに、練習で1つの失敗を笑われ、僕自身の存在価値を否定されたりもした。何回も怒鳴られ、メンタルもズタボロだった。当事者にとって、些細な言葉だったかもしれない。しかし、僕にとっては彼らの言葉は”凶器”に感じた。毎日心が荒み、疲弊していった。周りからみると一見、普通の日常に見えたかもしれない。でも、僕にとっては苦痛の日々だった。
その過去の経験を思い出した。その時の感覚を思い出してみると、「この場には自分の居場所がない。」や「周りからの助けがない」という孤独な気持ちがあった。この経験を今だから受け入れられるが、あの当時は本当にしんどかっただなと思う。
これからどうするか?
昔の自分を知ることができ、自己肯定感も低いことも少し認知できた。これからどんな行動につなげていけばいいのか。それを考えてみることにしよう。
具体的には、自分のペースで「毎日日記をつけること」と「感情の変化をメモしよう」と思う。日記を書くことのメリットは頭にあるモヤモヤを解消することができるし、スッキリする。基本的にポジテイブな文で終わり、小さな成功体験をここに記入しようと思う。例えば、早起きできたやご飯を作ったなどだ。2つ目は感情が動いたときに、なぜその感情が動いたのかをなるべくメモし、言葉に表すことだ。映画をみて感動したときでもいいし、文章見て笑ったときでもなんでもいい。些細な事かもしれないが、それを大切にするこで隠された自分に出会える気がする。
(*こんな感じで日記付け始めました。)
少しずつでいいので、自己肯定感を身に着けていく。急に変えることは非常に難しい。でも今よりも少しだけ楽になれたら、それは大きな一歩である。悲しい過去やつらい過去は変えることはできない。今を変えることで未来は変えることはできる。以前の自分は周りの評価や顔色を伺いながら生きてきた。しかし、大事なことは自分と向き合い、どうしたいかを決め、前に進むことではないか。自己肯定感が低いのは過去を一生懸命に生きた勲章であり、悪いことは何もない。過去のことを否定するのではなく、自分のことを少し認め、褒めてあげる。今から少しずつ、自分のペースで毎日過ごそう。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
これからも4人のリアルな休学日記をお楽しみに!!