北野昂大
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ヒストリー

出身地

神奈川県川崎市

幼少期の暮らし、体験

父が転勤族のため,神奈川→新潟→千葉の順で様々な土地を体験する.幼稚園児のときに母方のひいばあちゃんが亡くなるが死の意味がわからず,ただひいばあちゃんの暗い家が怖かった記憶だけが残る.小学二年生から大阪の小学校に転校.千葉県にいたため,関西弁が常に怒られている感覚がして怖かった.小学三年生のときに教師いじめが発生.校長先生と教頭先生総出の事態に.先生を助けて目立たないように生きる日々でびくびくしていた.しかし,正義感が反感を買い,いじめを受ける.善悪と自己保存の葛藤を感じる.小学五年生のときに仲が良かった父方のじいちゃんが死去.泣きじゃくり,死の意味を理解し,生そのものに興味を持つ.死体の冷たさが身体に刻み込まれる.小学六年生は修学旅行など充実.

中学・高校時代

堺市内で移住し,小学校とはかかわりのない中学校に入学.野球部に入り穏やかに過ごせると思っていたが,一人の部内の人間と永遠に喧嘩を続ける.お互いに相手を変えようとしていた.クラス内では学級代表,委員会では委員長として周囲の代表としての立場に立つことが増える.高校受験が本格化するにあたって,父親から「なぜ高校に行くのか」という問いに苦悩する.しかし,それを機に世界では教育を受けることが当たり前ではないことに気付き,国際支援,教育問題に興味を持つ.塾にも通わせてもらい必死に頑張るも結果,第一志望の公立高校には入学出来ず,併願校の私立高校に入学.留学が指導要項に入っている高校に進学.高校受験という選抜がかけられたコミュニティの民度の高さ,人の良さに驚く.一年生のときから卒業までの勉強のライバルが見つかる.国際問題についての授業もあり,世界の残酷な部分についての知識が増える.二年生の春に姉妹校である台湾の高校に赴き,海外を始めて経験する.夏休み前に始めての彼女が出来る.二年生の夏休みに一か月バンクーバーのサマースクールに留学.今まで見たことのなかった文化や世界に驚きの毎日.三年生は部活も引退し受験勉強の毎日.学内の成績掲示,模試の成績で上には上がいること,志望校と詰まらない距離に絶望する日々.人生の闇を感じるが,このときに受験科目であった倫理が心にひどく刺さる.これが大学を選ぶ軸に.ライバルと切磋琢磨し続けるも,大学受験もまた第一志望は不合格で後期入試で金沢大学に入学.

大学・専門学校時代

人生初めてのアルバイトを飲食店で始める.お金を稼ぐ大変さと責任を感じる.また中高生のころから興味があった国際問題に関わるボランティアがしたいと思い,教育支援を行う一般社団法人STUDY FOR TWO金沢大学支部に入部.非常に厳しい先輩支部長のもとでなんとか食らいつく日々.しかし,一年の夏にその先輩が就活でフェードアウト.何もわからない状態で支部長をすることに.しかし,当時17人いたメンバーは4人で絶望的な状態.毎日支部のことを考え続け,ほとんどワンオペで事業を行う日々が続く.また,その頃から金沢市の生活学習ボランティアをはじめ,ひとり親家庭の教育支援を始める.中々勉強の意義をわかってもらえず苦悩の日々.支部は一年の秋ごろから軌道にのりはじめ,マネジメントの感覚も出来てくる.また,生活学習ボランティアで見ていた子も第一志望に合格.二年の春には目標であった売上金10万円を達成.また金沢青年会議所のもと,遊学館高校でSDGsに関する授業を行う.専門的な授業も始まり大学生活が充実し始めたように思えてきた.しかし,二年の十月にSTUDY FOR TWOにおいてイベント運営と,突如決まったHRリーダーとしての目標発表,支部での事業運営,slack及びGoogleWorkspaceの導入が重なりメンタルを崩し,人間不信を起こし団体から二週間ほどフェードアウト.復帰は果たすもそこから若干団体に対して初めて冷たくなった期間を過ごす.支部長を二年の冬に後輩に渡す.大学三年生になり,STUDY FOR TWOの学生副代表に就任.自分の目指すSTUDY FOR TWOへ向けて現在奔走中.就職活動との兼ね合いに葛藤を覚えつつも日々は充実している.

職歴

  • 大洲幼稚園
  • 大洲小学校
  • 八田荘小学校
  • 上野芝中学校
  • 桃山学院高等学校
  • 金沢大学