福岡県北九州市に一家の待望の長男として生まれる。祖母にとっても初孫だった私は、とことん可愛がられ、甘やかされて育つ。この頃の一番の楽しみは親戚が集まった時のババ抜き。
幼稚園に入るタイミングで広島県に転勤。家族がキリスト教徒だったためカトリックの幼稚園に入園。広島カープの大ファンとなる。坊主が嫌いという親の謎の理由で野球をさせてもらえずサッカーを始める。
小学3年の時に埼玉県へ。厳しいサッカーチームに入り、サッカーが嫌いになる。小学6年の時に運動会の応援団長を務め、女子の視線をくぎ付けにする。1年生の女の子にガチで惚れられる。
地元の中学に入学。あんまり好きではなかったけどサッカー部に入部。3年間辞めずにサッカーを続けて再びサッカーが好きになる。またこの時実績のある塾に行き始め、真面目に勉強を始める。3年生の夏は冗談抜きでずっと勉強していた(毎日11時間半)。その成果もあり、慶應の付属高校に合格。
高校でもサッカーを続け、なんだかんだで12年間サッカーをすることに。受験がない分、四六時中サッカーのことを考えていた。引退式では自分だけがスピーチで号泣した。改めて考えてみると、サッカーを続けてきて本当に良かったと思っているし、そこで一生の友人が作れたことも私の宝物となっている。
国際関係会に入部。初めは友人の誘いでなんとなくで新歓イベントに参加。春はほとんど活動に参加していなかったが夏の国際交流イベント(IW)で留学生の付き添い役を務め、本格的に活動に参加するようになる。その時のIWの委員長を務めていた3年生の先輩に役員の勧めを受け、広報局副局長に就任。入学当初は考えてもいなかった国際交流という活動にここまで深くかかわることができ、今非常に充実している。