両親は中国人で、私と同じくらいの年に日本へ。私自身生まれは日本の東京ですが、4歳の頃アメリカで過ごし、小学校一二年生の頃は中国の現地校に通っていました。子供時代は、言語も文化もわからないところへいきなり連れて行かれたり、家族も離ればなれになったりと中々に波乱万丈。小さい頃から異国の文化に触れることで視野を広げることができたと思います。
特に印象的だったのは、私が通っていたアメリカの幼稚園に「クラス」という概念がなく、「デッサンの部屋」「病院の部屋」といったようにキッザニアのパビリオンの如く、空間がテーマごとにわかれていて、子供は好きな時に好きな部屋で、割と本格的なアクティビティ体験ができたことでした。また、もう一つのハイライトは別の幼稚園でお世話になった"Thinking chair"です。これは"Blue clues"というアメリカで大人気の子供向け番組に出てくる椅子の名前を借りた、何かいけないことをした時に子供が自問自答する為の椅子です笑 番組ではそのような使い方ではないですが、うちの先生のオリジナルルールでこのthinking chair がHRに設置されていました。私も一度先生に座らされたことがあり、その時に感じたカルチャーショックは今でも鮮明に覚えています(授業で英語の問題を説いている時に隣の男の子がつまずいていたので教えてあげた、そしたらいきなり先生に呼ばれ座らされることに。いくら考えても何がダメなのかわかりませんでした。先生曰く、人に答えを教えてしまうと、その人が考える機会を奪ってしまうことになると。これがアメリカと日本・中国の教育の違いか〜)。このように「正解」を求められない環境で実にのびのびと育ちました。
中高は関西で過ごし、一年間の浪人生活を経て大学進学をきっかけに、東京へ戻ってきました。当時振り返れば中々に荒れていた私でしたが(反抗期?)、神戸女学院在学中に一つ大きな転換期を迎えました。中学校2年生の頃、ある日自宅でテレビを見ていた時に、AUのCMが流れてきたLady GagaのPoker faceのPVを観て、身体中にビリビリと電流が流れるような感覚があったのです。声といい、ファッションといい、彼女の全身から魂の叫びのような、中から訴えかけてくる感覚があった。それは、私が忘れかけていた物を教えてくれました。彼女を一言で表現するなら「創作という名の反抗」、情熱的な彼女の生き方に惚れました。(どの曲にも彼女のストーリー、メッセージが込められていてそれを知った上で曲を聴くと二重で楽しめます。例えば彼女の半生を描いた"merry the night"は、厳しいカトリックのお嬢様学校出身で周囲に馴染めず、変わった性格と芝居じみた話し方が原因でいじめを受けた過去、リストカットに至るほど深刻で精神科にもかかっていた頃をpvで描写。それでも自分はスターになるんだと言い放つGagaには心を揺さぶられます。)そんなLady Gagaをみて、いつか自分も魂を燃やせるようなことを見つけられたらいいなあと考えるようになりました。
直接的に人助けができる医師になんとなく憧れ進学した医学部は私が想像していた以上に、「正解」にこだわることを求められる環境でした。このまま無難に過ごせば医師にはなれる、でも自分はそれでいいのだろうか。それは本当に自分がやりたいことなのか。アイデンティティの模索のために、医学部の外で数えきれないくらい沢山の経験(迷走)をしました。
その中で一番を選ぶなら、医療×デザイン(元々デザインには興味があった)で美大生や経済学部生などの仲間と起業したことです。デザインの会社で、色々なテーマの事業を抱えていましたが、そのうちの発達障害の当事者とためのアプリ開発事業を通して、自分は発達障害に大変興味を持つようになりました。情熱を燃やせるテーマに自分はようやく出会えたかな?と思っています。
現在は諸事情でデザインの会社を辞めて、代わりに発達障害関連の課外活動をしたり精神神経科学教室で研究を始めたりと、発達障害に振り切っています。今年からinochi学生プロジェクトにjoinし、「発達障害と、共に歩める社会を作る」をテーマとした課題解決型教育プログラムを運営しています。
慶應医学部ベンチャー大賞運営
合同会社Colonb's
inochi WAKAZO Project