けんとす
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

東京

幼少期の暮らし、体験

父親の仕事の関係で、7歳までグアムと日本を行ったり来たりしていた。一番小さい時の記憶は、現地のジャイアンみたいなやつに綱引きで負けたことである。当時から負けず嫌いで、モノポリというボードゲームで大人相手に負け、悔し涙を流す。学校は日本にて通うことができたが、気づいたら中学受験の塾に通い、毎日勉強させられていた。

スポーツが好きで、学校から選ばれ長距離走の選手として、区大会に出場。またクラスで、当時流行っていた30人31脚の東京予選大会に参加。結果惨敗。今回は悔しさよりも、勉強時間が増えることへの喜び且つ安堵感に支配されており、周りから見ればどう考えても勉強中毒。リアルコナンくんと呼ばれた。

中学・高校時代

中学時代:当時の身長が140㎝しかないことや、テニス経験がないために、硬式テニスの選択肢がなく、しかたなく軟式テニス部に所属。レギュラーになったものの最後まで参加せずに、三年の途中でフェイドアウトした。なぜなら高校からは絶対に硬式テニスをやると決めていたためである。軟式テニスはアジアだけのローカルなものかつ人気が少ないものだと感じていた。せっかくやるなら硬式の方が良い。周りと比べスタートダッシュに成功。勉強は学内トップ10にいたが、井の中の蛙大海を知らず。三年後に痛い目を見る。

高校時代:硬式テニス部にようやく入部。しかし部活とは思えないほどの緩い環境であった。テニスの先に何があるのかを自問自答した際に、「ない」と見切った。そこで高校二年にて、中学入学以来考えていた大学受験を決意。附属の大学推薦を蹴り飛ばしたが、世の中そんなに甘くない。どこの大学にも受からず浪人へ。

浪人時代:現役時代の反省をした際に、人生の目標が定まっていないと気づく。もちろん簡単に答えは出ない。しかし目の前をみた際に、社会的身分から自分は排除されているという疎外感を感じた。なにやら難しく考えているように聞こえるが、自分にとってはかなり深刻な問題だった。そこで自分が一番受かりやすい相性の合う問題形式の大学を受けることにした。そして現在の大学に入学。

大学・専門学校時代

一年次:時間ができたこともあり、もう一度、今度は真剣にテニスもやろうと決意。サークルに入りテニスを再開。秋に財務に選ばれ、総勢100人規模の会費を管理することになる。

二年次:中国文学専攻に進むことになる。実は第二志望ではあったが、何かの縁なので、中国語をマスターしようと思う。そもそも中国語を選んだのは、情報取得量が多い点とビジネスで使えるという二点であった。想像よりハードな中国語生活が待ち受けていたが、持ち前の負けず嫌いを発動しながら、なんとか乗り越えた。夏にはオックスフォード大学留学をし、ジェンダー論を学んだ。現地の生活の中で、自分には中国語をそこそこ話せるというアイデンティティが加わっていると気づかされる。今まで圧倒的に中国人との交流にかけていた自分は、冬に開催されるアントレプレナー育成プログラムに参加することにした。そのプログラムは中国から優秀な留学生を招いてビジネスを考えるもので、中国とのコミュニティを形成するやり方の土台になったとも言える。

三年次:春にHSK5級取得。そして日中学生交流会の訪中団に参加。現地の学生と交流し、慶應義塾の知名度が中国の中でダントツ低いことに気づく。そして今年のはじめから、就職活動と並行しながら、代表らと共に大学内の日中交流のコミュニティの場を作った。ちなみに私の役目は雑用。

四年次:就活後は、学生生活の終焉が迫ってきていると感じた。学生と社会人とを比べた際に圧倒的に異なる点は、時間と環境。それらを考えた際に、やはりこの桃花会をより活発に、より大きくすることであるという結論に達した。これから夏には中国研修、秋には三田祭出店と初めてやることが多い。しかし、日頃からの周りの皆様のご支援やご協力、そしてそれに付随する期待を裏切らぬように努力していくつもりだ。