梁妍
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ヒストリー

出身地

中国広州

幼少期の暮らし、体験

私は雪の積める内モングルに生まれて、1歳から雪の降らない広州に育てられました。

幼い頃から音楽が好きで、歳からピアノを学びはじめました。蒸し暑い部屋の中でピアノを練習し続けたことは鮮明に覚えています。学内で演出したこともあり、友達と一緒に香港、北京に行って試合を出て、全国一等賞を取ったこと人生最初の成功体験と言っていいです。


中学・高校時代

广东广雅中学 2016年卒業

中学校では、合唱団の伴奏者を担当した経験があり、ある試合を機に、広州市内の前四位の高校からの合唱団の素晴らしい演出に圧倒されて、「このようなレベルの人たちと勉強したい」と決心をして、受験を経て有名な高校に入学することができました。

高校では人生初めての挫折体験をしました。地元の中学校と全くレベルの違う人間に出会えて、学力も音楽も興味も、何一つ勝てられないと感じました。小5の時からバイオリンに興味を持つようになり、高校ではオーケストラで首席をしていたが、それ以外に誇ることがないと気づきました。その間、図書館に通い続けて、たくさんの本を読み続けていました。その中、三島由紀夫の「春の雪」という小説を手に取り、「なんという美しい表現だ」と思い、大学では日本語を勉強したいと決めました。

二年生の時から決心して勉強に集中して、一回の試験で300位の進歩を遂げました。そこから勉強にも自信を持つようになり、センター試験で北京語言大学とマカオ大学の日本語専門に同時に合格しました。

大学・専門学校時代

北京語言大学
文京学院大学

家から列車に乗って20時間もかかる北京につきました。その時、心の中はワクワクして、何か新しいことに触れ合えるという楽しみしかなかったです。

北京語言大学には留学生の数は中国人学生よりも多く、126ヵ国からの学生や先生がいます。そこで、「世界文化祭」という入学前に知ったイベントがありまして、毎年7月になると、学校は色んな国の国旗に飾られて、民族的な服装を着ている留学生たちはイベントで演出とブースを出展して、自分の国の魅力を来場する人々に伝えていきます。私はこのようなイベントを実施したい!と強く思いまして、ISCCという学生団体に入りました。そこにいる先輩がすごく厳しかったが、仕事の能力とリーダの取り方からいろいろ勉強になりました。

私は世界文化祭に向かって、半年前から準備し始めて、8カ国の参加を説得できました。それからアジア6カ国の担当となり、定期的に英語で行う会議を開催し、ニーズを聞き取りながら他のメンバーと調整をしていました。その中から、仕事の初体験、人との接し方や色んな新しい価値観に触れ合うことができました。そして、今も連絡し続ける国境線を超えた親友もできました。

私は日本語が好きで勉強しているので、難しいですが、楽しんできました。二年生の夏に、先生に「言語はただの器しかない」と言われて、初めて進路について考え始めた。「日本語を勉強することは好きだが、日本語を生かして専門性のある仕事をしたい」と思うようになりました。そこで、文京学院大学への二年間留学プログラムがあることを知り、東京で経営学を学べることができると思い、留学を決めました。

北京から飛行機を乗って5時間、羽田空港に着きました。教科書でしか見ていない日本語が目の前の看板や周りのCMに溢れていて、現実感を覚えるまでには何日もかかりました。大学に入り、「とにかく成長したい」と思い、一番怖いと言われる櫻澤仁先生のゼミに所属することになりました。先生は講義中、真剣に勉強していない生徒に対して200人の前に「教室を出ろ!!」と怒鳴りするような方です。先生の出した課題も他の先生と格の違った厳しい基準があり、挫折をしたことは数えないほどでした。しかし、その先生の厳しい指導のおかげで、礼儀も日本語力も速やかに上達していることを実感しました。

櫻澤先生は元コンサルタントでした。その仕事ぶりを見て、「元コンサルってこんなにすごい人間なんだ」と素直に思いました。そこで、私もコンサルになりたいという夢を持つようになりました。

先生の指導を受けて、東京大学経営学研究科に合格しました。これから二年間は、研究と就活を両立して進めたいと思います。

職歴

人工知能翻訳サイトの長期インターン(北京彩彻区明科技有限公司

ラーメン屋でのアルバイト

イベントスタッフのアルバイト(アシスト・ジャパン)