島田 和子
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

久留米で文具・事務機器の卸問屋の次女として生まれる。
母も結婚後、一戦力として働いていたため生後数ヶ月から保育所に通うまで、母の実家に預けられる。

実家は店舗の裏にあり、社員さんやお客さんの出入りが多く、いつも誰かに見られている生活だった。
また当時の社長である祖父、祖母と同居しており、優しいが模範的な人たちだったため、自分も礼儀正しい良い子でいることが当然の生活。
 
幼稚園までは友達数人と元気に外遊びをしていたが、一人遊びも大好きだった。
おしゃれが好きで、おばあちゃんの宝石類を身につけて遊んでいた。
小学校低学年の頃は毎日、洋服・和服のデザイン画を書いていて、ファッションデザイナーになると本気で思っていた。

大人びた容姿と落ち着きで、幼少期から優等生扱いを受けていた。
しかし、生まれつき癇癪持ちなところがあり、気に入らないことがあると叫びながら家を飛び出したりして、家族を困らせた。
4つ上の姉は私と真反対の性格で明るく社交的で友達も多く、姉の友達と遊んでもらっていた。

中学・高校時代

福岡県立明善高等学校
勉強が面白く、友達に聞かれることも好きで、半分先生のような立ち位置だった。
 
友達は特定の数人と深く仲良くなる方で、中学時代はなぜかやんちゃな女の子に好かれていた。

中学2年生から通っていた塾の塾長とは今でも交流がある。優等生扱いせず、からかってもらえることが新鮮だった。

高校時代は、お笑い芸人の古賀けんと同級生!
名物の大運動会をはじめ、思い出すと甘酸っぱい時代。

生物が好きだったこと、バイテクや環境問題への関心、母の「農学部って面白そうじゃない」との一言で農学部進学への関心が高まる。
農学部のある大学を見る中で「京都に住んでみたい」と思い、京大を目指す。

大学・専門学校時代

京都大学
私のことを知っている人が全くいないと言う新鮮な環境で、最初は心細かったものの、数ヶ月後にはのびのびと暮らす。
対等な関係の友達が多くできる。
勉学というよりバイトや寺社巡り、恋愛に時間を費やす。

所属していた医学部茶道部(なぜか医学部にお邪魔)で年に1度開催する、平安神宮等を貸し切って行う大茶会は、半年以上の仕込みが必要な 一大プロジェクトだった。
体育会と掛け持ちしている部員が多く、ノリが体育会系 笑
 
就職活動の時期になり、 「一次産業、農業者、環境のために仕事がしたい」という想いから就職先を探す。
民間企業に就職してもでできる貢献は限られていると感じ、公務員を志す。
農水省と福岡県庁を受け、「帰って来てほしい」との親の気持ちに応える形で福岡県庁に入庁。

職歴

2001-2015 福岡県庁
たまたま 農業職の採用が1名の年で、入庁後、有名人扱いされる。

最初の勤務地はみやま市(旧 瀬高町)。
普及指導センターという現場密着の事務所で、果樹担当として毎日作業服で現場に出向く日々。
合計5週間の泊まり込みの農家研修では、農家の女性の労働時間や男女の格差に驚き、なんとかせねばと思う。
果樹農家はみんな職人なので、素人が役に立てないもどかしさをめちゃくちゃ感じる。
役に立ちたい一心で、知識を増やしたり、現場で試験をさせてもらいながら腕を磨く。

想いがあってついた職業で、上司先輩には大変お世話になり、最年少で 農政企画担当を任されたりと責任あるポジションにつかせてもらったが、自分の強みが活かせない感覚や行政施策が依存を生んでいるのではないかと言うジレンマに悩まされる。
 
数年間悶々としていたが、農産物の輸出を担当した際に、目的の見えない激務や上司への信頼感喪失から、「ここではない」と確信する。

かといって、自分にできること、本当にやりたいことが全く見えない状態。
仕事でもうまくいかないことが続き、苦しかった。

輸出時代に結婚、出産。
出産後、久留米の普及指導センターに異動になる。

久しぶりの現場は、私にもできることが増えていて、関係者との関係性も構築でき、とても楽しかった。
それでも次の場を模索していた。
 
次女の出産後、たまたま手に取ったフリーマガジンに掲載されていたコーチングの講座に参加した事から人生が動き出す。
恩師と出会い、 自分の強みやビジョンを見つけることができ、コーチとしての独立をを目指す。
週末に学びと実践(無償でセッショn提供)を積む。

県庁時代のどん底の時期からは比較にならないほど、仕事も楽しくなっていた。
周りに「今乗ってるよね」と言われるくらいだった。
 
何かを残して辞めたい、と思い、最後の現場で大仕事に挑む。
退職の相談をすると、上司や同僚が「島田さんの人生だから」と笑顔で送り出してくれたことが有り難かった。

2016- 個人事業主としてコーチング事業開始

同じ歳に3人目を妊娠。当時は動揺したが、今となっては我が家の宝。
出産後に2級キャリアコンサルティング技能士資格取得。

働く人の悩みを伺う中で会社に関わる必要性を感じ組織開発について学びと実践を深める。

2020 株式会社アンテ(組織開発・人材育成)創業

法人化は恐怖でしかなかったが、そのおかげでご縁がさらに広がり、このリロードにも関われている事を心からありがたく思う。