3人兄弟の長女として誕生しました。出産予定日を10日も過ぎて生まれてきたそう。この頃からマイペースですね。
小さな頃はとても愛敬が良かったらしいです。また周りに興味津々で常に「あれは何?」「あの人は誰?」と母に質問するため、出かけるたびに冷や冷やしていたそう。
小学校時代は、本やお絵描きがだいすき(校内では多読賞をもらったり、展覧会で賞を頂いていました❤︎)、おしゃべりがだいすき!と言ったTHE女の子❤︎的要素を持ち合わせつつも、小学校時代4年間習っていた空手の影響で、誰よりも負けず嫌いでした。その負けず嫌いの性格は多方面に渡り、勉強ではいつもクラスの子と点数を競っていたし、学校行事や勝負事にはいつも1番を目指し全力で取り組むタイプの子でした。
今でもですが家族が大好きで、特に弟たちをものすごく可愛がっており、どこに行くにもついていっちゃうよくいえば面倒見がいい、悪く言えばお節介な姉だったそう。これは今も変わらずです(笑)
いわゆるサンコイチな私達でした。
中学時代
中学校時代は吹奏楽部に所属しトロンボーンパートとして、金賞を目指して練習漬けの日々でした。楽器経験はなかったものの、元々負けず嫌いだったこともあり早く上手くなって舞台に乗りたくて、昼練や朝練に足繁く通う日々でした。メキメキ上達していき、My楽器を持つか考えていたころ、まさかのパート移動…低音層が足りなかったためチューバを任されました。今までの約1年の努力がなくなってしまうようで悔しかったです。しかし、結果としてチューバは私にぴったりの楽器でした。まさに「縁の下の力持ち」のような楽器、どんな曲でも低音域に安定感がなければ「深い」音楽にはなり得ないのです。私はいつしかみんなの支えとして奏でることに喜びを覚えていました。決して目立つような楽器ではない、メロディラインなんて回ってこない、ソロもない、でも音楽が音楽たるためになくてはならないパート、そう人間で言う心臓のような部分でした。それに気づいたとき、私はチームを率いるために必要なことは前に立てていればいいわけじゃない、少し後ろから正しい方向へ歩むみんなのその後姿を眺め、時に修正をかけていく…そんな方法もあるんだと実感しました。3年生では副部長を務めました。嬉しいことに、最後のコンクールで数年ぶりの金賞を手にしました。その時壇上から眺めた客席は今までで1番気持ち良かったです。
高校時代
部活漬けだった中学時代とは打って変わり、高校時代は勉強漬けでした。私の高校には吹奏楽部がなくオーケストラ部に所属したのですが、コンクールでの金賞を目指していたときのような熱さはどこにもなく、趣味程度のものでした。英語が大好きだったので、放課後や昼休みには大好きなジャマイカ人の先生のもとへ通い、英会話をしていました。一つ大きな思い出といえば、栃女伝統の「耐久レース」 です。太平山という山を超え計15.2kmの道のりを3時間以内に走り切ると言ったものです。大嫌いな行事でしたが、ゴール後に食べる豚汁が本当に美味しくて…ここで不屈の精神に磨きがかかり、また負けず嫌いにも磨きがかかりました。
現在は文学部の英米文学科に在籍し、次年度からは中世の英文学を研究します。元々古いものや、活字が大好きだった私が「中世」に惹かれたのはもはや運命と言っていいんですかね。来年からの研究にワクワクしています。また第二外国語である、イタリア語とはこちらもまさに運命の出会い✨こんなに愛せる言語ってあるんだなと思っています。日本語もイタリア語もどちらも子音重視の言語なのに、抑揚や調子が違うからイタリア語はとっても豊かにHappyに聞き取れる素敵な言語です。
(私にイタリア語の楽しさを教えてくれた教授です)
サークルでは、この国際関係会で活動します。入った理由はとても単純で、世界中に友達が欲しかったから、ただそれだけです。高校までを栃木県という狭い世界の中だけで過ごしてきた分、「世界」への憧れは人一倍強かった気がします。教育テレビの旅系番組や英語ニュースやラジオを聴きあさり常に日本ではないどこか遠い異国へと想いを馳せていました。国際関係会に入ってからは、プロジェクトを通して様々な価値観を持った人に出会い、その出会いはさらに国境を越え言語を超えていきました。世界はもっと身近になり、どんなニュースも他人事とは思えなくなりました。多様なヒトに刺激されながら上を目指して生きる日々、昔の自分に見せたらどんなに驚くだろう。