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ヒストリー

出身地

福岡県 福岡市

幼少期の暮らし、体験

勉強、スポーツはまるで苦手。学芸会やら学校のイベントがある度、張り切って脚本の真似事をしていたことを覚えています。

学者の父は、口数も少なく近寄り難い人、どんな会話をしたのか。あまり記憶もありません。子供ながらに褒められたことも思い当たらない。そんな父が大病をしてさらには、ろくに声も出せなくなります。気が滅入った父の笑顔をた見たことがありません。

ある日の学芸会、僕の書いた脚本で会場が湧きました。精一杯芝居を演じました。観劇してくれた父は大口を開けて笑っていました。その姿は印象的で今でも眼に焼き付いています。「おまえおもしろいな」父から褒められたのもそれが最初で最後でした。

厄介なものでその記憶が大衆演劇役者への道へと誘うことになります。

中学・高校時代

中高一貫の新設校に入学

寮生活を送ることになります。ここでも劣等生は相も変わらず。芝居に関心が高かったけども、それを仕事にするということは芸能界?となります。背も小さければ顔もそこそこ。あまりに想像がつかない。将来のことを考えるとうんざりします。とにかく毎日つまらない。

なんかおもしろいことをやった奴が勝ちみたいな感じで毎日いたずらして遊んでばかり。きっと自分の中でやりたいことは見つかっているけどもやり方も進め方もわからなかった。日々時間を無駄に使っていることを実感してました。次第に逃げ出したい気持ちになります。

思春期特有の反抗期というものは、全て学校に吐き出してました。不良ではなかったけども教師からは、癌だとか3バカとか嫌なあだ名とつけられたものです。

闘病中の父が亡くなる時にふと幼少期の話をされます。学芸会の時の話でした。自分の描いたものを手に入れるにはどうしたらよいものか。人はある日、突然自分の活路を見出すものでもなく、そこに備えていると閃きが生まれるというのです。その閃きは仏智というもので仏の知恵というものだそうで。

その閃きが訪れるまで自分なりに慢心せよという遺言でした。

大学・専門学校時代

演劇に関心が高かったけども福岡大学人文学部というところに入学します。中高とつまらなかったけども大学生というのはホントにいいものでとにかく時間がある。短時間で割りのいいアルバイトを探して、とにかく演劇やダンスやら自分の関心のあることを徹底的にやりました。夜21時くらいから毎日のように朝方まで路上で練習してました。次第にその場所で地元の人も集まって来て一緒に朝方まで練習をしていました。

これまで学校の授業なんておもしろくも何とも思わなかったけども大学の講義は楽しかった。眠たくてしょうがなかったけどもとても新鮮だった。特に、宗教学や哲学は楽しくて仕方がなかった。え? こんなこと真剣に考えて何になるんだよ。その馬鹿馬鹿しさが素晴らしいと思うようになります。芝居を作ることとある種、思想学と結びつけることが自分がこれから進むべき閃きになります。芝居を思想と捉えるとさらに自分が欲しているものが明確になっていきます。

当時、話題の蜷川幸雄の舞台が福岡で上演されます。そうこうしている間に、演劇の神と称される沢竜二と出会います。この人が凄かった。何の迷いもなく芝居のことしか考えていない。沢竜二が芝居で舞台の上で魅せていたものは彼の生き様そのもので、存在そのものが作品になっていた。思わず弟子にしてくださいと頼み込んでしまうほどのオーラがありました。

そして、その沢竜二こそ大衆演劇界のドン。今活躍している役者の中で最も古く最も長い芸歴を持つまさに演劇の神。

職歴

有限会社沢竜二事務所:大衆演劇 沢竜二一門 花形座長襲名

株式会社グッドラックスリー 映像芸能事業部(地域メディア)

有限会社福陽開発 取締役