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マインド

大切にしていることそれは「追いかけること」です。自分が無知であり未熟であることを知っているからです。どの哲学者も、はたまた一流の沢竜二ですらも自分の芸には納得もできずもがいている。「人の命に限りはあれど芸の道に限りなし」 平たく言えばたぶん謙虚さでしょうか。

芸は花に例えられるが、別に芸能を志す人だけに当てはまるものではなく、どの分野でも当てはまります。

他分野や文化が異なると相手のことはわからないが、それはお互い様ということです。ヨーロッパを中心として未開の民族を考察する際、自文化中心主義というので大きな過ちをしましたが、それは日常茶飯事、実は一般の社会でも起こっていること。さらに言えばいつでも自分自身の中で誰しもが思考しうること。

例えば、悪魔祓いなど未開の地で行われているものを西洋人から見れば非科学的と揶揄し野蛮民族とした。怪しげな宗教としたわけです。でも紐解けばそれは、うつ病になった患者への精神的フォローを村をあげてする医療行為だったわけです。西洋医学の進んだヨーロッパ人にはそれが理解できなかったって話。自分の尺度ほど怪しいものはない。自分の考えすらも環境によって習慣化されたものに過ぎないわけですから常に誤解をするものだと自分を疑ってしまうわけです。

その自文化的な考えに対して、僕の言うところの「追いかける」というのは、人類学でいうところの相対主義的な思考です。その立場に立たなくては理解できない。

そう考えるとまだまだ人生では知らないことも多くあり、やれていないことも多くある。まだ触れていない思考や文化がある。それに触れていくことは、単純楽しいもんです。そう考えると僕にとって、生きてると大抵めんどくせえなと嫌なことも多いけども、まだまだかろうじて人生が楽しいわけです。でもそれは、何もやみくもにやっているわけではなく。役者であることを前提としてです。役者としての存在価値を見出すためにやるわけです。

僕は役者、沢竜二の幻影を追っているけども、あらゆることをやるのは、沢の芸に近づくため。そのためならどんなこともやってみる。方法は違えど思考へ到達することを目的としてます。

そして、せっかくなら追われる人間になりたいものです。後から自分の背中を追いたいと思ってくれる人が現れないならまだまだだと思うし、ダサい。「追いかける」ことを辞めず「追われる」人間になることがまた目標になる。

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