近藤 皐平
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ヒストリー

出身地

滋賀県

幼少期の暮らし、体験

小さい頃は目立ちたがり屋なのか恥ずかしがり屋だったのかよくわからなかったと聞きました。注目されたいと思って行動するのに、いざ注目されると緊張してもじもじしていました。

小学生の頃は、ふざけるのが好きで授業中でもよく手をあげて、ふざけたことを言って周りを笑わせていました。小学校3年生の時に、スポーツ少年団の野球チームに友達に誘われて、入りたいと親に交渉しましたが、送迎が面倒だと断られました。。。それから5年生まではインドア派で友達とカードやテレビゲームをよく集まってやっていました。それから一緒にゲームをしていた友達にテニススクールに誘われました。親も学生時代テニス部だったので勧められて入りました。しかし、小学6年生に漫画「メジャー」にハマり野球熱が爆発しました。その後はテニススクールをそっちのけで友達と放課後、休日飽きずに毎日暗くなるまで野球していました。

中学・高校時代

滋賀県立東大津高等学校 2013年卒業

中学校時代は主に部活に明け暮れていました。特に中学校は、全国大会に出場するような強豪校で監督も鬼のように怖い監督でした。同級生21名中、小学校時代にスポーツ少年団に所属していなかったのは3名だけでほとんどが経験者でかなり萎縮していました。とにかく最初は練習、試合は終始緊張していました。また、先輩とも一緒に活動するのが初めてで敬語も勉強になりました。最初はあまりにも厳しい環境で親にも本当に続けられるのかと入る前に言われて、不安ばっかりでした。そこで毎日自主練習で素振りを400回することにしました。それからは、雨の日でもどんなに遅くても毎日素振りを続け、試合でも成果出るようになり、親にもチームメイトにも認められるようになりました。この経験で得た根性、仲間は今でも役に立っていると思います。

高校時代も部活と受験勉強が中心でした。特に受験勉強が印象的です。入っていた塾に今もお世話になっている恩師に出会いました。恩師は双子で当時塾でアルバイトをしていた大学生でした。とにかく勉強する癖をつけろと言われ、高校1年生から毎日自習室に通いました。恩師の授業の教え方は、学校で習うこととは全く違ったやり方でしたが、すごく分かり易かったです。高校三年生の受験シーズンの時には、第二志望の受験校選定、テスト日程をうけるスケジュール、得意科目、苦手科目の時間配分、とにかく細かいところまで指導いただきました。結果、入試は無事成功できました。この時の出会いは本当にターニングポイントだったと言えます。

また、高校三年生の学園祭ではステージ長を勤めました。主に舞台で劇の演出を行うのですが、自分達の年代では、初めて映画作品に挑戦してみました。今までにやったことのないことだったので、他のクラスとは異なる準備、本番までに間に合うのかすらの不安もありましたが、学校で有名な動画編集が得意な友達を巻き込み、他のクラスの人間もたくさん入れて、無事作品を作り上げることができました。結果、優勝することができ、初めての実績を作ることができました。

大学・専門学校時代

立命館大学 2018年卒業

大学時代は主にアルバイトがメインでした。カフェ、宅配便、工事系、警備員、引っ越し、塾講師、工場、飲食店、テレビ局ADなど多種多様なアルバイトをしました。特に主力的に力を入れていたのは、下記の4つです。

①コメダ珈琲店 継続年数4年(1回生〜4回生)

②個別指導AXIS  継続年数3年(1,2,4回生)

③NHK大津局 継続年数2年(3,4回生)

④マクドナルド 継続年数1年(4回生)