しょうた
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ヒストリー

出身地

愛知県

幼少期の暮らし、体験

幼稚園時代はある意味天真爛漫にすごして非常にやんちゃに過ごしていました。小学校時代は機械がすごい好きだったので理科の実験や物を作ったりするのがすごい好きでした。習い事で英会話教室に通っていたのもあって英語への関心はもちろん、ALTの先生と話すことはこよなく愛していました。また、祖父や社会見学といった校外学習を通して、電車や地理に関する基礎的な興味関心が深まっていった時期でもありました。

中学・高校時代

愛知県立尾北高等学校 2019年卒業

中学時代はまだ小学生の時のマインドセットが残り気味ではありましたが、とある友人にテストで負けたときと高校選択という二つのイベントによって今後の人生観が変わるキッカケが生まれました。一方で、部活としてやっていた技術部で自分の物作りに対する発想の乏しさに悲観し、このころから理系から文系の興味に軍配が上がりました。

高校時代はまさにカニシカ王権下のクシャーナ朝、スレイマン一世の王権下のオスマン帝国みたいな時代でした。俗にいう最盛期という奴です。国際教養学科という普通科と異なり、英語に何十倍も触れる機会があって行われるイベントや環境も国際色豊かになりました。スキルはもちろんですが、なによりすごいのがたった三年間で様々な見識、イデオロギー、人生の楽しみ方、電車への狂気じみた恋慕などなどが大きく発展、成長しました。
最後の日には「国教のみんなに胸張って生きていきたい」誓い、学校を後にしました。

中2の時には台湾に、高2のときにベトナムとカンボジアに行きました。
自分の殻を破ることや人を率いることの意義、劣等感の捉え方など、学術性を伴わない高度な自律を学びました。

大学・専門学校時代

南山大学

大学1年生はまさに激動の時代で、ここでまたさらなるパラダイムシフトが様々なシーンでありました。問題があってそれを解いていって勉強するのではなく、現実にある問題に対して見識を深め、創造的批判的に捉えた形で自分の意見を様々な媒体を通じて発信することが常に求められる環境になりました。ここで得たものとして自分は「食らいつく学び」と称して常時臨戦態勢でアグレッシブに授業を受けてました。
特にゲストスピーカーが授業に来たときはさらに貪る姿勢を強めました。

同時に、これまで趣味などでとどまっていたものが実践として部活動や多文化交流、講演会などで活かされていくという飛躍的な流れもありました。自らが「積み重ねてきたものがやがて実を結ぶ」という感覚を得た瞬間でもありました。