人と遊ぶこと、話すことは大好きだけど、人前で話すのは苦手…。
小2の名前の由来発表会で、「普段は声が小さくなってしまうけれど、今日は大きくはきはき発表できていてよかった」という感想をたくさんもらったように、大きな声で話せるだけでほめてもらえるような小学生。笑
小2のころにぜんそくで入院したことをきっかけに、なんとなく医師にあこがれ始める。
国立の小学校だったので、エスカレーターで上がれる中学に進学。
中学時代
パズドラに3年間をつぎこむ。笑
同じ中学の半分くらいが進む高校への進学を考えていたが、たまたま行った学校説明会で一目惚れし、日比谷高校への進学を決める。
高校時代
高校では、オーケストラ部に入り、バイオリンを始める。弾くのは難しいけれど、耳元で聞こえる綺麗な音色にのめりこむ。オーケストラ部では、反省会係(実質打ち上げ企画係)と合宿係を務める。2年になって、クラスに合唱部員がいなかったこともあり、合唱祭にも力を入れる。日比谷高校には、SSH,SGHのプログラムなど、自分を成長させてくれる環境があったが、全然活用できなかった。
部活引退後は、今まで全然手を付けてこなかった勉強に取り組まざるを得なくなり、頑張って歩きながらリスニングをしたり、駅のエスカレーターなどでも勉強するようにしていた。(゜_゜)
高3の時も学校行事があり両立は大変だったが、なんとか第一志望であった東京医科歯科大学に合格し、進学。
医師へのあこがれはぼんやりとあったがちゃんとした決め手がなく、医学部受験は自分の中ですんなり決まったわけではなかった。受験期も月に1度くらいは本当に医学部でいいのか悩んでいた。
憧れの都会でのキャンパスライフの始まり!!…と思いきや、1年は千葉のキャンパスに飛ばされた。笑 (入学してから知った。)
今まで高校まで部活学校行事勉強以外に取り組んでこなかったので、結構不安はあったが、大学内のHealth Science and Leadership Program (HsLP)を履修する。
そこでは、医療倫理や世界の医療事情など、医学を多角的な視点から見て、またクリティカルシンキング・デザインシンキングを使うような授業を週に1回受けている。
大学の授業で、医学部卒業後医師になり、そのあと起業したailisの加藤浩晃先生のお話を聞いたり、再生医療と広告医学に取り組んでいる武部貴教先生のお話を聞いたりして、医学部卒業後の進路の幅広さを知る。今まではただなんとなく小児科医になりたいと思っていたけれど、いろんな進路があるんだ、もっと知りたい、と思うようになった。授業を聞いて、もともと自分がめんどくさがりな性格なので、「なにかの行動を促す仕組み」に興味があることに気づき、「健康を促すものづくり」に興味を持った。
「起業」という道もあることを知ったことで、ちょうど12月にあったビジネスコンテストに参加。社会貢献と利益を出すことを両立することの難しさを感じた。
その後、同じビジネスコンテストのチームの子からいろんな勉強会を紹介してもらったり、チームの子が課外活動に積極的に取り組んでいることを知り、少しずついろんな勉強会に足を踏み入れ始める。
1年を通して、入学前とは大きく感じている世界が変わったが、私は様々な職についている話を聞いたこと、そして一歩足を踏み出したことで、医学の可能性も感じたし、自身の可能性も広まったと思う。
これからの5年間、まずは自身の可能性がという道もあることを知ったことで、ちょうど12月にあったビジネスコンテストに参加。社会貢献と利益を出すことを両立することの難しさを感じた。
その後、同じビジネスコンテストのチームの子からいろんな勉強会を紹介してもらったり、チームの子が課外活動に積極的に取り組んでいることを知り、少しずついろんな勉強会に足を踏み入れ始める。
1年を通して、入学前とは大きく感じている世界が変わったが、私は様々な職についている話を聞いたこと、そして一歩足を踏み出したことで、医学の可能性も感じたし、自身の可能性も広まったと思う。同じような経験をもっと多くの人にしてほしい、という思いから、inochi WAKAZO projectへの参加を決める。
inochi Gakusei inovator's program PM統括, グローバルデーの責任者