ステフです。
私のビジョンと将来の夢についてお話しします。
私のビジョンは自分らしく生きてやりたいことをやるという抽象的なものですが、私という一人の人間そしてこの先の何十年間をどういう風に過ごしていきたいかを物語っていると思います。自分らしく、やりたいことをやり、そして好きなように人生を生きるというのはまさに理想的かと思いますが、実際自分らしく色々と挑戦してみたり好きな分野をとことん追求してみたり、周りからの目を気にせずに物事を進められるという方々は少ないと思います。私も昔はそうでしたし、今でも新しいことをするのは躊躇してしまいます。
私は親や周りの大人から「学生は社会人になる前にたくさん挑戦し、失敗し、学ぶことができる」と言われます。多分この記事を読んでいる中高生の方々も似たようなことを過去に言われたことは多いでしょう。私は何回でも挑戦し失敗できるというこのフレーズは正直あまり好きではありませんでした。例えば学業でもスポーツでも趣味でしている料理でも失敗するのを恐れてしまうのは普通であり、失敗を気にしないようにするのはとても困難なことだと思います。失敗すれば何かしら周りから言われ、自分を責め、そしてこの世の全てが終わったか思うような経験を頻繁にし、自分のビジョンがブレてしまうことがあります。
自分を責めてしまうのは仕方できる限ありませんが、それでも私は可能な限り周りの目を気にせずに自分の経験を次に活かそうと努力しています。私は中学、そして高校の頃はただ周りが勉強しているから、課外活動をしているからという理由で新しいことを始めていました。いざ私が何をこの高校在学中の数年間に成し遂げたかをリストにまとめなさいと言われても、さほど思いつきません。周りのみんなは輝いていて、没頭するものがあるのに、私の将来はこれになりたいという強い思いがなかったのです。大学受験時に私がどのような人間かをアピールするエッセイを数多く書かなければいけなかったので、ちょうど1年前のこの時期ぐらいに色々と悩み続けました。
その結果、様々なことについて気づきました。例えば、私は自分が内気で人見知りな性格で、あまり明るくもなく何か特別秀でている分野がないから、将来の夢について考えかことがない事、そして無意識のうちに自分の性格と反する夢もしくは実現が難しい目標を諦めていること。自分が進学校に通っているため、周りの生徒は医者や弁護士、起業家、親の職業といった私の性格ややりたいことに程遠い夢を持っていたからこそ、本当にやり続けたいこと、学び続けたい分野について追求しようとする思いがなかったのかもしれません。
私は人の役に立ちたいという思いはあったのですが具体性はありませんでした。人の役に立つと一言で言っても建築家から医者から水道修理会社に勤めるなど、様々な手段があります。私は自分があまり詳しくない・興味のない職業にはつきたくなく、医者のように長時間激務も嫌でした。
結果的に友達からの私の性格を総合的にみてもらい、自分を責めてしまうのは仕方できる限ありませんが学校の先生という職業を目標としています。実は結構あがり症でして、英語でも日本語でも人前で話すと汗がすごく、話すスピードも早くなってしまっていますが、少しずつ自分の強みである思いやりや物事を細かく説明する力を武器に頑張っていきたいと思います。昨年頃から教育界未来はと深く影響しているので興味深いと思い、身近にいる先生方からお話を伺ったところ、私も教師になりたいという夢が強くなってきました。正直、今は私が教壇に立ち堂々と自分の担当科目を教えることは想像できませんが、せっかく私が強い意志を示した夢ですのでたとえ途中で他の職業に変わっても、教員になろうと思った過程で得た新たな価値観や自分の内面の発見、その他の私の改善すべき側面も踏まえつつ誰かのために私が成長でき助けになれるよう努力を続ける限りです。
最後に私が何を伝えたいかというと、この記事を読んでいる方々にもう一度自分の残りの人生をどう過ごすか考えて欲しいのです。私のように気づかないうちに自分はこうだと決めつけ、自分ができること・できないことに制限をかけている方も多いと思います。今は色々と試せて、いずれはこういう経験や失敗があったんだよね、と笑い話のように語れる日がきます。自分で自分の夢を諦めないでください。