第3章 不登校は不幸じゃない

こんにちは!外川結奈です。


あすのちが行っている活動の大きなイベントの一つに『不登校は不幸じゃない』という企画があります。このイベントは小幡和輝さんが主催されているイベントで近年では毎年夏に全国一斉で多くの団体から催されています。


昨年私は座談会に参加して小幡さんの話を初めて直接拝聴しました。私は不登校経験はなくむしろ学校を楽しんでいた方だったので、不登校の方の話は失礼ながら興味本位で聞いていました。

このイベント名でもあるように不登校は不幸だと思われる方はたくさんいます。私も不幸までとは言わなくても、可哀想というイメージがありました。しかし、座談会が終わった時、おやと思ったのです。


この時はまだ言語化できないほどのモヤッとした気持ちでした。


イベント当日。

ちなみにイベントの内容も↓記載しておきますので、興味のある方は是非ぜひご覧ください!

不登校を経験したメンバーの話を聞く

参加者を全員交えて会話(進路のことや心配なことなど)

ものづくり体験(昨年はスノードームを作りました)

みんなでゲーム(なんじゃもんじゃやUNO)

※あすのちのメンバーだけではなく一般募集もしたため、

不登校を経験した/している小学生〜大学生と

その保護者の方も一緒に交わりを持つことが出来ました。

私は当日までに堀江貴文の『すべての教育は「洗脳」である-21世紀の脱・学校論』を読み、学校に行くことの意味や学校で習うことについて、批判的な立場で考える機会を持ってから臨んでみました。

私は参加者全員で話している時、今まで言語化して来れなかった不思議な気持ちの状態に気づいたのです…!

それは いいなぁ!

すごい単純ですが、順を追って説明すると


私はまず彼らは私となんら変わりのないことに気づきました。いや、もはや一緒に感じました。

しかし、私と彼らの大きな違いは、大きなものから外れる勇気の有無でした。


学校を辞めたにしろ、辞めなかったにしろ、休むことに勇気が必要になってしまうものです。

授業追いつけるかなとか友達の輪にまた入ることが出来るかな…

だから休まないように行こうと思う。

その一つ一つの我慢で得られるものは、

将来やってくる困難も乗り越えられること!

しかし、それが表向きの意見とも言えます。

先述した新書には、国が良い労働者を育てるため我慢の多い学校のプログラムになっているんだと書いてありました。

私はそのことに気付かされてから、全部なんとも思わずに「真面目に」やってきてしまったのは何も考えていないのと同等のように感じました。


自分の興味関心よりも先に言われたことをやってきた‥


もしかしたら自分の興味関心を突き詰めてたらその疑問が生まれるかもしれないのに無理矢理疑問あるかのようにしていた‥


もしかしたら学校行っていない方が無限の可能性を持っていて無限の想像力が養われるのかもしれない


たくさんの意見があると思いますが、私が尊敬する偉人の1人、エジソンも小さい頃から学校に通わず家で学んで世界的に有名の発明家になったのです。


学校に行かなくてはいけないとそればかり思う必要はない!!


もし、学校に行かなくてはいけないと思い込んで学びが嫌いになってしまった子がいたらそう言いたいです。


学びは疑問がなくては始まらない。

自分から学べたらなんて素敵なことなのでしょうか?

これからの私も、そして私に出会うたくさんの子供たちにも、

大切なのは自分から楽しいことを見つけることだと伝えていきたいです。


最後になりましたが、

コロナによって働かなければならない医療関係者の方や役所の方々などに感謝します。あすのちも今はリモートで活動を進めています。

早くみんなと笑顔で会える日が来ますように✨

引き続きあすのちの応援もよろしくお願いします!


外川結奈